演奏会ブログ

                              発声、声楽、歌うこと、奏会にまつわる独り言


201784

音楽の饗宴 A Musical Banquet

 

英国の音楽を中心に続けてきた日本でのリサイタルも今年で9回目を終えた。

今回の前半のプログラムでは、16世紀から17世紀までのヨーロッパの世俗声楽曲をまとめた「音楽の饗宴」という作品集を取り上げた。この曲集の編者は英国人 ロバート・ダウランドで、1610年に英国で出版された。その当時、ロバートはまだ19歳であったことから、父親であり、作曲家、リュート奏者、また歌手でもあったジョン・ダウランドが、曲の収集や編集作業の大半を行い、二人の共同作業によって出版に至ったのではないかと推測されている。

 ‘A musical banquet. furnished with varietie of delicious Ayres collected out of the best Authors in English, French, Spanish and Italian.’「英語、フランス語、スペイン語、イタリア語の最も優れた作者たちの歌曲から集められた、変化に富み、美味しいエア(声楽曲)が提供される、音楽の饗宴」。

 この歌曲集には、ジョン・ダウランドの新曲をはじめ10曲の英語、3曲のフランス語、3曲のスペイン語、4曲のイタリア語の作品、全20曲が含まれている。収録された英語の作品は、ジョン・ダウランドと同時代の英国作曲家によるもので、そのほとんどは、彼らの唯一の声楽曲である。「音楽の饗宴」は、このように当時の英国王宮や上流階級の人々の音楽と詩に対する関心を表していると同時に、ジョン・ダウランドが海外滞在の経験から得た情報と楽譜がまとめられており、英国とヨーロッパ大陸各国の、それぞれの形式と豊かな音楽性に触れることのできる曲集になっている。

 作曲家、リュート奏者、歌手でもあったジョン・ダウランドは、海外在住中も、英国国内での自身の声楽曲などの楽譜の出版に勢力的に取り組んでいた。彼自身は海外滞在中も英国での宮廷音楽家の地位を懇願していたが、その願いが長年叶わないまま、1606年に帰国していた。その後、ジョン・ダウランドは、幸いにも1612年にジェイムス一世のもとでリュート奏者として雇われ、1626年まで宮廷での作曲にたずさわった。

 

「音楽の饗宴」は、貴族の執事であるサー・ロバート・シドニーに捧げられている。サー・シドニーは、ジョン・ダウランドが英国を離れて海外で活動していた時に、息子のロバートを父に代わって世話をしていた。ジョン・ダウランドは、これまでの自身の業績を形にするとともに、ロバート・ダウランドを編者とすることで、息子の音楽家としての将来の成功に期待をかけて、この「音楽の饗宴」の出版を手がけたのではないだろうか。この一冊は、当時の音楽を伝える貴重な資料であるだけでなく、そうしたジョンの折り重なる様々な思いがつまった声楽曲集である。

 







2017310

ベンジャミン・ザンダーとベートーヴェン交響曲第9

 

今年1月に、フィラモニアコーラスとベートーヴェンの作品をドイツで演奏したのに引き続き、3月はロンドンで交響曲第9番のCD録音、一週間後にロイヤル・フェスティバル・ホールでの演奏会に参加した。

 

このプロジェクトの指揮者であるベンジャミン・ザンダーは、アメリカ在住の英国人で、35年ほど前にも同じ作品を録音したことがある。第一回目の指揮者とピアノ合わせのリハーサルの際に、彼自身から、なぜ今回改めて録音を試みることを決意したのか、作品における考察と解釈、これまでの研究の内容などの説明があった。

 

ベートーヴェンの多くの作品はメトロノームの誕生したころに作曲された。よってテンポ表示は、楽譜を読みとり作曲者の意図を解釈するための重要な役割を果たしていた。

ベートーヴェンは晩年耳が聞こえづらくなったために、意思を伝える手段として会話のためのメモ帳を使用していた。内容は作品の詳細や注釈だそうだが、ベンジャミン・ザンダーと同僚の音楽学研究家によると、作品全体の構成からして、テンポ表示のうちの何か所かは、ベートーヴェンが意図していたものと矛盾するのでは、という疑問が生まれた。よってメモ書きの何か所かは彼自身が間違って表示したのではないかと考えられる。それというのは、当時のメトロノームは現代私たちが使用しているものよりもテンポの表示に制限があった。そのことから一拍を四分音符として解釈していた箇所が、ひょっとしたら2部音符を一拍としていた可能性があるのだという。

そして、最も興味深かったのが、試みたテンポ設定に沿って演奏することで作品全体に整合性が生まれ、テンポの移り交わる箇所が論理的になるだけでなく、かつ洗練された説得力のある音楽に聴こえてきたところだ。具体的にはテノールのソロのテンポは、通常解釈されているテンポの倍の速さになり、逆に合唱のFreude, schöner Götterfunkenの部分はほぼ倍の遅さになる、などといったところだ。

 

ベンジャミン・ザンダー氏の人柄と作品に対する愛情が、オーケストラと合唱団員にも十分に伝わってきた。演奏会前には彼自身によるプリ・トークも行われた。

録音、演奏会と共に今まで何度も歌ってきたことのある交響曲第9番が、よち新鮮に感じられた。観客席の反応は、賛否両論であったかもしれない。ベンジャミン・ザンダー氏が、冗談混じりに「翌日の朝刊の見出しに、ザンダー氏の解釈はとんでもない、と書かれるかもしれないね。」と笑っていた。一方で「ベートーヴェンはホールの上のほうに居て、僕に“ベンジャミン、その演奏では私の示したテンポではないぞ”と常に訴えかけてくるんだよ。」とも語り、作品と作曲者への敬意に満ち溢れた姿勢に皆共感した。

 

クラシック音楽の中でも交響曲第9番、特に合唱の楽章は誰でも一度は耳にしたことがある、といっても過言でなない。それだけに演奏会当日の観客の反応は、様々であったようだ。

楽譜から読み取れるものには無限の可能性がある。それぞれの指揮者による作品解釈と演奏を通してのメッセージに私達は刺激と影響を受け、常に学んでいく楽しみを与えられるのだ。






2017年1月17日


ハンブルグツアー ベートーベン ミサ・ソレムニス

 

今年最初の仕事は、フィラモニア合唱団のドイツでの演奏旅行だった。ロンドンでのリハーサルを2回終え、その2日後にハンブルグへ向かった。演奏会場は設計から建物の完成に10年近くもかかったと言われる話題のエルプフィルハーモニーで、今回はそのオープニング・フェスティバルの一部としての出演だった。


演奏するミサ・ソレムニスは1823年に完成したベートーベンの晩年の作品で、盛儀ミサ、または荘厳ミサとも呼ばれる。もともと交友関係のあったルドルフ大公の大司教就任祝いのために書かれたものである。

ハンブルグ一日目の最初のリハーサルは、指揮者のサー(卿)・ジェフリー・テイトとピアノ伴奏で全曲を通した。非常に明確な解釈と指揮より曲の輪郭が短時間で作られていった。一度目でタイミングがあわない場合でも、繰り返し練習の必要性を感じない箇所は端折って次へと進む。「この箇所は繰り返しての練習は不用、次はうまくいくだろう。」と言われるとかえって緊張感が高まった。

午後はソリストを迎えて、オーケストラと合わせた。ソプラノソロは、フィンランド人のカミラ・ナイルド、アルトはイギリス人のセイラ・コノリー、テナーはドイツ人のクラウス・フロリアン・フォークト、バスバリトンはイタリア人のルーカ・ピサロー二だった。

指揮者からソリスト一人ひとりに的確な指示がなされ、具体的に要求されている現場を間のあたりにできるのは、合唱団員にとっても貴重なことである。

2日目は、本番の会場でのリハーサルが行われた。エルプフィルハーモニーは、ハンブルグ中央に位置し、建物の回りは港に囲まれている。建築設計を担当したのは、ロンドンのテイト・モダンの建設にも携わったスイスのヘルツオーク&ド・ムーロン、音響設計は永田音響設計である。収容人数は2150人。舞台はホールの中央に位置し、客席が360度そのまわりを囲っている。

観客側にとっての音響が優れていると聞いていたが、演奏者側にとっては気をつかわなければならない点がいくつかあった。フィラモニアコーラスの合唱指揮者であるシュテファンいわく、「力強い音には注意を払う必要がある。さもなければ金切り声のようにも聴こえかねない。そしてどれだけ柔らかく高音をだせるかで、音響効果を生かせるのだ。」と忠告してくれた。

演奏の技術的な適応能力は、もちろん必要なことだが、サー・ジェフリー・テイトが語った彼自身の作品への解釈と明確な指揮にリードされ、音楽づくりに集中しながらホールの響きに対応することができたのは、二人の指揮者の指導のおかげであった。

当日、エルプ・フィルハーモニーのホールは満席だった。ここでは、客席の半分は指揮者がみえる位置にあるので、指揮者が見える客席からは彼の表情やジェスチャーから、豊かな音楽性が伝わっていたであろうと思う。

ソリストのなかでも、ソプラノのカミラ・ナイルドの柔らかく、また大きな表現力に充ち溢れた美しい歌声、主席ヴァイオリニストのソロの優美で伸びやかな演奏には特に魅了された。

作品の長さと構造上休憩はなしで、そのことがまた観客との一体感を増していったように感じた。

ベートーベンの平和に対する祈りは、曲の最後で何度も繰り返し歌われる「Pacemパーチェム」に込められている。時には世の中に疑問を投げかけるように、そして時には静かに祈るように、そして最後は強く訴えるように歌うのだ、と語ったサー・ジェフリー・テイトの表情は特別に忘れがたかった。

 



2016630


100年前のソンムの戦い前夜に


 


今から100年前の71日に英国はソンムでフランスとともにドイツと戦った。英国にとってこの日は第一次世界大戦への参戦の大きな意味をなす日である。4ヶ月間で連合国軍とドイツ軍あわせて100万人以上の人々が戦死したとされる。


ロンドンのウォータールー駅から徒歩15分ほどに位置する戦争記念博物館の主催で行われた、前夜の追悼イヴェントに合唱団員として参加した。戦時中の映画上映、資料展示、演劇上演、そしてコンサートが午後8時から深夜まで行われた。


 


博物館の地下から最上階まで吹き抜けになっている中央大広間で第一部(愛)は私たち室内合唱団がフランスの作曲家、ラベルと英国のホルストの作品を演奏した。ロンドン市民、または近郊に住む地元の人など計4000人以上の観客が訪れた。第2部(恐怖)は俳優による手紙の朗読など、第3部(希望)は地域のアマチュア合唱団を集めて計200人以上の大合唱となった。曲目はアイヴァー・ノヴェッロ他の作曲で、歌詞の内容は参戦に希望をもった行進曲風の明るい曲ばかりだった。(しかしこれがまた頭から離れない、つい口ずさんでしまうような明快でだれでも覚えやすい旋律と歌詞の繰り返しで当時大人気だったようだ)私はリハーサルで初見で歌っていたのだが、当日参加の同僚のソプラノは楽譜をちらっと見て「ああ、これね。今年この曲を別の戦争100周年のコンサートでも何回か歌ったから知っているわ。」と言った。別の同僚は、彼女の祖父が参戦しこの博物館に当時身につけていた軍服や小物類などを展示物の一部として寄付したのだと語っていた。


4部(勇気)はヴォーン・ウイリアムズの合唱曲(Valiant-for-truth)で終わった。この時間になると観客も随分減り、ざわつきは消え舞台に集中した雰囲気に一変した。曲の最後では戦闘への決意をトランペットによって描写している。歌詞の場面が演奏家と観客の間に浮かんでくるように思えた。


コンサート終了は真夜中の12時近くだったので深夜バスを乗りついで帰ることにした。


今夜(昨夜とも言えるが)の追悼コンサートに参加して、英国人は第一次世界大戦についてあまり悲観的には考えてはいないように感じた。博物館に展示してあった記録、映像、戦闘機などは戦時中に生きた人々には過去の勝利のしるしなのだろうか。


 


翌日の新聞やニュースでは追悼の儀式がイギリス各地で行われたことが報告されていた。                                                                                        


ある新聞の論説でソンムでの大量虐殺を経験したことで、戦争とは悲劇的、破壊的であると今でも感じるが、それでも無意味なものではなかったと取り上げている記事を読んだ。戦争経験が軍事力の強化と発展に繋がり、今日の英国の経済や外交にも大きく貢献していることなどを理由にあげている。このような考え方は国や個人によって大きく違ってくるのだろう。


人間は勝利よりも敗北から学ぶことのほうが多い。なぜなら戦争の理由と意味をもう一度考え直すきっかけになるからである。しかし戦争を繰り返すことで学ぶ必要はないし、してはならないと強く思う。


 








2016618


合唱指揮


 


英国合唱指揮指導者協会(ABCD)主催の指揮者養成コースを3カ月に渡って受講した。


参加者は各回30人前後。20代の小学校の音楽教師、30代の音楽教室の講師、40代の合唱団員のヴォイストレーナー、50代のピアノ教師、60代後半の地元の音楽サークルの指導者等で職業も年齢層も幅広かった。


中心となって指導をしてくれたのはイギリス在住のアメリカ人合唱指導者ジョー・マクナリー。第一回目のレッスンではジョーが普段使っているといういくつかの教材で参加者の私たちが実際に合唱指導を受けた。教材の内容は各国の民謡、コダーイメソッドを基にした音程の訓練、リズムゲームなどだった。楽譜を見ただけではどう扱ってよいのかわからないものがほとんどだったが、ジョーの指導によって、年齢を問わずに楽しめ、短時間で脳を刺激する躍動感のある、達成感を味わえる明確な教材ばかりだった。ちなみに日本の歌では彼女は“ほたるこい”を使用していた。ジョーは指導者育成の立場から、客観的に音楽を分析し、各教材の面白さを手振りや、表情で伝えてくれた。その指導力は的確で、柔軟性があり魅力的だった。


他の指導者たちは月ごとに異なり、彼らから別の角度での声楽の基礎、指揮法の手ほどきを受けた。レッスンの最終段階では生徒一人ひとりがヴィデオテープに自分が指揮をしている姿と指導者からのコメントを記録してもらった。


ジョーのお決まりの言葉は“Less is more!”(少ないほうがより身に入ってくるわよ!)


欲張って多くのことを一度に網羅しない。できるだけ少ない言葉でその時必要な少ない注意点を指導するほうが効果的だ、という意味である。


コースの最後の授業は、参加者が実際に他の参加者を生徒にして、ウォームアップと曲の指導を10分ほど披露する、という内容だった。最初から猛スピードで曲を仕上げる人、音楽について長々と語る人、耽々と注意点を指摘して冷静な人、思ったよりも生徒がついてこなくて困惑する人、分りやすい説明と、明るく好感のもてる話し方で場の雰囲気をもりあげたのだが、その後、肝心の曲の拍子を忘れる人、など様々だった。ひとつ共通していたことは、みんな人前にでることが好きな人ということだった。そうでなければこのようなコースには参加していないだろう。


コンサートでは指揮者は後姿を観客に向けているので、その表情、手振り、人柄は見えにくいが、合唱団は指揮者の鏡のようである。そして指揮者と合唱団の間に生まれる音楽は常に進化するものなのだと感じた。


これまでは観客の方を向いて演奏することばかりだったが、観客に背をむけての演奏の醍醐味を味わい、合唱指導方法の多様性と可能性を発見できた3か月だった。


 











2016年5月31日


シャルル・デュトワとカルミナ・ブラーナ


先日ロイヤル・フェスティヴァルホールでオルフ作曲の「カルミナ・ブラーナ」の演奏会があり合唱に参加した。演奏はフィラモニア・オーケストラとフィラモニア・コーラス、指揮はシャルル・デュトワであった。

 

公演前日の朝から指揮者のピアノでのリハーサル、午後にオーケストラとのリハーサルが設けられ、その他にコーラスのみのリハーサルが2回あった。私はこの作品を実際に歌うのは初めてだった。

 

カルミナ・ブラーナとは中世のラテン語、ドイツ語、イタリア語、フランス語から成る詩・歌集で、ドイツのバイエルン選帝候領にあるべネディクト会のボイレン修道院で19世紀初めに発見されたという。オルフはこれを基に世俗カンタータとして作曲した。

 

合唱団のみのリハーサルでは、古ドイツ語の発音と言葉のリズムに慣れるための練習を重ねた。テンポが2小節ごとに変わる場所が多くあり、最初は拍子を合わせにくく少々戸惑った。そもそも一小節ごと数えるような曲ではなく数えられるはずがなかったのだと後から気がついた。

このことは指揮者シャルル・デュトワとオーケストラとのリハーサルで、より明確になった。彼が「この作品は電子音楽のようでもあり、またストラヴィンスキーの音楽を思い浮かばせる場所も多々ある。」というように、音楽を体で感じながら踊らせ、呼吸することで脳と体に刺激的な電磁波が流れていくようだった。また和音の組み方や流れは新鮮でなおかつ覚えやすい。実際指揮をしている彼の姿も自然な体の動きと共に踊りだしているようにも見えた。また「アーティキュレーションが大事だ。」とも言い、スタッカート・ダイナミックスなど楽譜に書かれていることを頭で理解しているだけでなく、もっとわかりやすく書かれている意図を正確に演奏しないと曲にしまりがなくなる、という意味だった。何小節にも渡る同じようなパターンのリズムと音も、強拍と弱拍の入れ方でとたんに計算されたリズム遊びのように変わる。前日のリハーサルで軽快なリズムの箇所を繰り返し歌っていく中で、音楽が体にしみ込んできて、楽譜を読むことがゲーム感覚のように思えるところさえでてきた。優しく柔らかな場面もより音楽的に仕上がってきた。

 

コンサート当日に舞台に立つと、思ったよりも狭く、隣の歌手の楽譜が読めるのでは、と思うほどに人と人とが重なりあうようにして歌うことになった。隣のソプラノに「この作品についてどう思う?」と聞かれ、「一人で練習しているとピンとこなかったリズムがいまになって面白く感じるけれど、それと同時にダンスのセンスが自分に欠けていることを実感するわ。」と答えると「私も同じよ。」と答えが返ってきた。

 

ソプラノのソロはカナダ人のエリン・モルで、リハーサルから柔らかく響きのある音楽的な演奏に魅了された。

 

演奏後に家族・友達と合流したが、作品の覚えやすいリズムとメロディーの余韻が彼らの頭の中にも残っていたらしく、帰りの道を歩きながら口ずさんでいた。

 

 









201656


 


フランダースの野で 第一次世界大戦に生きた作曲家たち


 


ロンドンで活動する指揮者の友人から彼女の指揮の卒業試験に合唱団員として参加しないかとの依頼があった。試験は演奏会形式で、ア・カペラの合唱曲10曲、独唱、朗読の1時間の内容だった。


今回のテーマは、第一次世界大戦に参戦した欧州の作曲家の作品を収集したもので、英国人のエルガー、ホルスト、バタウオース、デニス・ブラウン、ガーニー、ヴオーン・ウイリアムズ、ハウルズ、ドイツ人のベルグ、レーガー、フランス人のラベルの作品が演奏される。


合唱団は大学院生、卒業生から成る14名のプロフェッショナル室内合唱団で、明るく自信に充ち溢れた若者たちの集まりだった。演奏した場所はロンドンの帝国戦争博物館の向いにあるセイント・ジョージ教会だった。この教会はヴィクトリア王朝時代の建築家によって建てられ、当時、カトリック教会の中でも重要な教会の一つであった。


 


2回のリハーサルと当日、という短期間で仕上げて本番に臨む演奏会だった。指揮者のアンドレアとは、以前にも合唱の仕事で一緒に歌ったりしたことがあったが、彼女の指揮で演奏に参加するのは初めてだった。アンドレアの音楽性と合唱団をまとめる力、さばさばしていて快活な人柄は指揮からもにじみ出ていた。今回に限っては特に、自分の指揮科の試験という緊張感と、合唱団員との信頼関係、更に演奏会としての愉しみを観客にも与える総監督であったから特別な想いがあったであろうと思う。


各作曲家の作品は戦争が勃発する寸前、あるいは戦時中に作曲されたものがほとんどで、幾人かの作曲家は戦後まで生き延びることができなかった。当時の人々の平和に対する考え方や、自国に対する想いは、想像するしかないが、私たちは作品から何かを感じ取ることができると思う。


プログラムの中で特に印象的だったのは、ラベルの3つの詩(Trois chansons1914年に作曲され、彼はこのときに軍隊への入隊待ちだったという。作詞、作曲共自身によるもので、詩の中に戦争や平和、といった単語は一切でてはこない。求愛の誘惑にさらされる少女、森に入ってはいけない、という大人からの忠告を受けそのことをうるさく思う若者たち、天国からきた美しい3羽の鳥、といった物語から、物ごとへの判断や決断、世の中の混沌が音楽と共に描写されている。


エルガーやホルストによる民謡の編曲と、レーガー、ハウルズの宗教曲も美しく、各国の音楽の形式の違いもはっきりと浮きでるプログラムだった。


これらの作曲家は皆、戦争に参加することを決断し、行動したという。

私たちは平和に対する信念をどのようにして現すことができるのか、とまた考えるきっかけになった。















2016322

フィラモニアコーラス マーラー交響曲第2

 

ロンドンにあるロイヤル・アルバートホールでのマーラー・交響曲第2番の演奏会に合唱の一員として参加した。合唱はフィラモニアコーラスでフィラモニアオーケストラとの共演だった。

フィラモニアコーラスはイギリスの成人アマチュア団員が主で、それに加え毎回選抜された学生とプロフェショナルが参加する120人ほどの合唱団である。

 

私を含めたプロフェッショナルスキムの団員は、本番の数日前から常任指揮者とのリハーサル、演奏会の指揮者とオーケストラとのリハーサル、当日の全員での合わせと本番の数回に参加する。

普段の練習は常任指揮者の指導によって曲をさらい、土台づくりをしていく。

常任指揮者であるシュテファンは、ドイツ人で素晴らしい歌手でもあり、声楽家として必要な技術も熱心に指導してくれる。常に全身で歌うことを忘れてはならないという大きなメッセージに、私はいつも共感する。

演奏会の2日前には演奏会の指揮者とのピアノ合わせがあった。今回は、ロシア人の指揮者、プレテンコによる初めての共演になる。たいていの場合、演奏会の指揮者は常任指揮者による演奏を聴いてから、最初のコメントをしリハーサルを始める。

 

指揮者が感じた印象は、音楽性に深く関係する。彼は、合唱の最初の出だしは、命の復活が唱えられた、という前向きな部分であるから決して深刻になっている場面ではない、とコメントした。曲全体のイメージを捉えたら、それからは彼の指揮に吸い込まれるように音楽が作られていった。指揮者の腕や手、表情、体全体の動きによって、私たちの呼吸も自然に流れてゆく。

フィラモニアコーラスの場合、毎回違う指揮者との共演になるので、そのたびにそれぞれの指揮者のもつ音楽性に刺激を受け、自分自身の曲への解釈も広がる。

 

大合唱のもつ魅力は、一人の力だけではなく、全体でどのような雰囲気を作ってゆくかを一人の指揮者の道しるべによって旅していくところにあると思う。大きな船に乗って、海を渡るような、そんな感覚がある。作品は大きなキャンバスに描かれた風景画のようにもみえる。

 

交響曲2番には、メッゾソプラノとソプラノのソロがある。今回特に印象的だったのはメッゾソプラノのソリスト、アリス・クートゥ。常に音楽的で、ロイヤル・アルバートホールのような広い会場で、最も柔らかなピアニッシモで歌いあげた部分には誰もが極上の料理を頂いた気分になっていただろうと思う。それはリハーサルの時も同じであった。

合唱が始まるのは、交響曲が始まって1時間15分ほどしてからなので、それまではステージでずっと演奏を聴いていた。私は指揮者のプレテンコを正面にし、波にゆられるように音楽の中に入っていった。歌うところは実はほんの15分ほどなのだが、冒頭は自分の声も聞こえないくらいの静けさの中で始まり、復活の確信にむけて表現が大きくなっていく。曲の終わりは全身の血液が勢いよく流れるような目覚めるほどのフォルテ(ほんの10小節ほどだが汗がでた。)で幕を閉じる。後から分かったことなのだが、歌詞は途中からマーラー自身によって書かれたそうだ。

 

翌朝目が覚めたら、頭と体の中は昨夜の旋律が充満し大きな波の様に途切れることなく回っていた。次の船の旅がまた楽しみだ。

 

 





201522

イエスティン・デイヴィス 声楽マスタークラス

 

昨夜、武蔵野市民文化会館小ホールにて、英国のカウンターテナーのイエスティン・デイヴィスによる声楽のマスタークラスが行われた。

私は午後の個人レッスンと夜のマスタークラスの通訳として参加した。

イエスティンの演奏は、今から78年前に私が学生の頃にロンドンで行われたコンクールで声を聴いたのが最初だった。ロイヤル・アカデミーを卒業後、声楽家としての活動は目覚ましく、国内はもとより、今や国際的に活躍するカウンターテナーの一人となった。

 

マスタークラスが行われる前日に来日した彼と短く打ち合わせをし、レッスンの前の空き時間にロンドンでの生活や、学生時代、彼の生い立ちなどの話が聞けた。時差ぼけで身体だけが日本に移動し、soul 魂はまだこちらに追いついてきていない、と言っていた。

今回の参加者は若手の男声5人、将来を期待される歌手が集まった。また観客の方々の中には、声楽家の方、器楽奏者の方々の他、一般の音楽愛好家の方々がいたことで、会場の雰囲気が明るく和やかにも感じられた。

声楽の通訳の仕事は、普段、自分が感じていることを客観的にとらえるよい機会である。講師が声楽の技術面、また曲の解釈についての考察を、受講者や観客にどんな方法で伝えるのか、またどのような言葉を使って表現するのか、とても興味深い。

同じ内容の事柄を伝えるのに、言い方や、やり方は多様であり、その状況や人に合わせて柔軟であると教えに魅力が増す.。

 

仕事を終えてから、帰り道イエスティンと駅まで歩きながら、体の使い方や、曲づくりのことなどを話した。受講者に伝えていた練習法が、彼にとっても不可欠で、演奏家は日々学んでいくことの過程を大事にしていかなければならないことを再確認した。それは作曲家と作品に対する敬意でもあり、自分自身を受け入れ、向上心を持って向き合う姿勢の表れでもある。

   
 
 
 
 
 
 


















2015926

「日本と英国の歌曲リサイタル」を終えて その1


先日、新潟のりゅーとぴあで「日本と英国の歌曲リサイタル」を行った。

前半は英国で愛され、また親しまれた作曲家による作品で、後半は20世紀と21世紀の日本の作曲家による歌曲、編曲作品を演奏した。 

英国の歌曲は、ヘンリー・パーセル、ベンジャミン・ブリテンに加え、今回はジョージ・フリデリック・ハンデルの作品を取り入れた。

ドイツ生まれのハンデルは、1712年から英国に移り、1727年前後に帰化する。ハンデルのイタリア・オペラは40作あるが、そのうちの37作は英国で作曲され、上演された。彼はイタリア・オペラをロンドンの劇場のために書いた最初の作曲家ともいえる。 

ハンデルが英語によるオラトリオを作曲するきっかけになったのは、彼自身の興味よりもイタリア・オペラに満足しきった観客の別の興味、好み、また他のイタリア人作曲家たちに競いながら大衆受けする作品を作っていなかければならない状況に置かれたためだった。ハンデルの英語は長い英国暮らしの後も変わらず強いドイツ語なまりがあったと言われている。「アクセント(なまり)はその人の個性でもある」、という英国人たちの間でおそらく彼は積極的に人々と関りあいながら仕事をこなしていたのであろうと私は想像している。

今回のリサイタルでは「セミリ」の中のアリアを2曲プログラムの中に選んだ。ギリシャ神話が基になって作られたこの作品は、当時はオラトリオと称し、セミ・ステージの形をとって初演された。作品は音楽的な魅力にも関わらず、台本の内容や、財政的な理由を背景に当時は大半の観衆から受け入れられなかった。だが、人間の気持ちの弱さや

欲求、また天と地を例えにした社会の仕組み等、今日的な題材であるが故に、現在では英国の音楽劇として上演される機会も多い作品のひとつである。

 

ハンデルのオペラの魅力は、華やかさにある。パーセルやブリテンのもつ英語ならではの言葉に対する独特の愛情や繊細さ、また緊張感のある音楽とは全く別のものである。

ハンデルの残したオラトリオやオペラは英国にとって大きな財産であり、英語による作品の幅を広げ、英国に広く根づいている。

 




201581


歌曲の世界


先日、札幌の渡辺淳一文学館にて「20世紀の日本と英国の歌曲リサイタル」を行った。プログラムは前半にベンジャミン・ブリテンの作品、後半は岩河智子編曲「おとなのための童謡曲集」より4曲、そして武満徹の歌曲を4曲演奏した。


大学卒業後にイギリスに渡り、ロンドンの大学院生だった頃は、英語、ドイツ語、フランス語、そしてイタリア語の歌曲、オペラ、アンサンブル、合唱を学んできた。新しい作品に取り組む上で、私の場合まず音楽よりも先に詩と言葉の理解、ひとつひとつの単語の発音記号を調べることが必要だった

大学院の授業では、歌う時の発音、語学、コーチングと呼ばれる個人レッスン、声楽のレッスンでそれぞれ技術的、音楽的なアドヴァイスをもらえた。それでもなかなか言葉が自分の頭と体に入っていかないので、フランス語はフランス人の作曲家の友達に、ドイツ語は文学を専攻している大学院生の友達に、英語は声楽科の友達に詩を朗読してもらい、それを何度も聴きながら言葉の抑揚を体に覚えさせた。歌うときの発音としゃべる時の発音の仕方は異なるが、母国語をしゃべる彼らの話し方を見、聴くことで、私は歌う前の曲に対する想像力を膨らませることができた.。


歌曲の世界は想像力が広がる。役柄も、舞台装置・舞台背景もすべて歌手と伴奏者によって表現され、観客がそこからイメージを膨らませるからだ。オペラのようにそれぞれ役柄が決まっていて舞台にでるのとは違って、演奏者自身が、より素のままで舞台にでるような感覚がある。

今回、武満徹の歌曲を取り上げて、練習に取り組んだときに、ロンドンの古楽科で17世紀のイギリスの歌曲のコーチングを受けたときのことが頭の中によみがえってきた。その歌曲は有節歌曲に通奏低音のみの楽譜、シンプルな旋律となじみのない言葉が並んでいた。発音の仕方や、単語の意味は理解していてレッスンに臨んだが、先生の人生経験と社会に対する意識、それから大胆な想像力により、詩を表現する言葉の世界に圧倒された。

今回のプログラムには谷川俊太郎の詩による「ぽつねん」や「死んだ男の残したものは」そして武満徹自身の詩による「小さな空」と「翼」を選んだ。これらの曲はさけられない事実を語っている。演奏中に私の頭に回っていたのは、今の時代に生きる自分がみる現実だった。ひとつひとつの言葉をどう語るのか、が演奏の全てになる。

詩やことばの理解というのは、それが母国語や第二ヶ国語であることで理解しやすいということとは別に、それを越える自分の感性や表現の力が大きいのだということが今になってしみじみと実感できる。

例えば、日本語を母国語としない人が、日本との歌に取り組む場合、私はどのように学び方を伝えるのかとふと考えながら今回のプログラムを振り返った。




2014年12月21日

Britten Folksongs arrangements ブリテン民謡編曲集

 

ブリテンによる民謡編曲は1943年に出版されたイギリス民謡から、アイルランド民謡、フランス民謡、ウェールズ民謡など2001年まで6巻出版された。

 

民謡の編曲をはじめたのはブリテンとピーター・ペアーズがまだアメリカに在住していた1941年頃で、第2次世界大戦の最中の世の中の情勢も不安定な時期だった。

1939年からブリテンとペアーズは北アメリカにおり、その後カナダ、ロングアイランド、ニューヨークと移動した。ブリテンはこのままアメリカに滞在し続けるべきか、イギリスに戻るべきか、悩んでいたという。

1940年から1941年にかけては友人に「自分は英国人なのだ、とつくづく感じた。作曲家として自分のたしかな拠点を見つけたい。」というような内容の手紙を書いていた。

今回民謡編曲集のなかからCD録音にはアイルランド民謡のThe Salley Gardens The last rose of summerのほかにO Waly Waly,そしてGreensleevesを収録した。

 ブリテンが民謡の編曲を手掛けたきっかけはアメリカから遠い故郷のイギリスを想って始めたことは事実だとは思うが、作品からはそれ以上のブリテンのメッセージが伝わってくる。「編曲」という言い方がはたして適当か、と述べる出版社の言葉も理解ができる。作品ひとつひとつが非常に表情豊かで、鋭い和音の感性が随所に現われており、叙情的である。演奏する側も聴く側にも満足感があるのは、譜面に記載されたブリテンによる音楽的な指示によるものであろう。そしてそれらは感傷的ではないところが私たちにエネルギーを与えてくれる。

 

歌い手には表現しやすいように、そして歌いやすいように編曲(むしろ作曲といったほうがよいのだろうか?)されている箇所が多い。ブリテンの音楽性の世界に入っていくことが自然に感じられたし、とても魅了された。

こころの中にある色彩豊かな感受性や、感情を音にするには本当に様々な観点からの

知識と技術が必要である。

 


20141220

Britten Purcell Realizations ブリテンのパーセル編曲集

 

10月の末にソロのCDのレコーディングの後半のプログラムの録音を終えた。ベンジャミン・ブリテンの歌曲5曲、パーセル編曲集から2曲、そして民謡編曲集から4曲、計11曲を2日間に渡って録音した。

ブリテンは1913年生まれで1976年に亡くなった。私が生まれた年にはもうこの世を去っていたとはいえ、20世紀の作曲家の作品はいろいろな点から現代の私たちの日常生活と関連していて興味が湧く。

来日して演奏会を開いた様子が映像として見られたり、リハーサル風景の録音がきけたりでき、ブリテンの生涯をつづった文献の中には彼の友達や、親戚の記録したものが多く残っている。

ブリテンがヘンリー・パーセルの音楽を敬愛し、パーセルの作品をより多くの人々に知ってもらおうとして2曲編曲したのが1939年。1943年に更に13曲、1950年から1971年にかけては定期的に編曲の数を増やしていった。1959年にはパーセルの生誕300周年記念リサイタルも行った。

パーセルの編曲についてブリテンが述べていることがいくつかある。

編曲にあたっては通奏低音と記入のある和音の指示はそのままでありながらも、伴奏は常に即興であり、その都度変わるのであるのだから、時代によって演奏の仕方も変わるはずだ。ブリテンも自身の編曲を何度も書き換えていたことがあったようだ。

楽譜に得に何も書かれていない箇所の演奏の仕方は作曲家の個人のスタイルとその時代の音楽を知ることが大きな助けになる。これは多くの演奏を聴いたり、実際に演奏したり、その時代の背景、芸術全般を勉強するなかで自然に蓄えていくものなのでは、と私は思う。

 

ブリテンの編曲集の中で今回録音したのは、I attempt from love’s sickness to fly in vainHow blest are shepherds2曲。歌とピアノの伴奏の部分を目で追っていくと、ダイナミックス(強弱)やフレーズの指示が私にパーセルの作品への解釈の可能性の広がりのアイデアを与えてくれる。ブリテンも「もしもこの編曲が狂っている、と思うのならば、パーセルも狂っていたはずだ。」と言葉を残している。

ブリテンが編曲集を演奏する歌手やピアニストに期待しているのは、楽譜に忠実に演奏してもらえること以上にさらなるアイデアを個人個人が見つけ出すことだと思う。

ブリテンはパーセルの編曲を始めて以来ピーター・ペアーズとの演奏会ではほぼ必ずパーセルの曲をプログラムの中に取り入れて各国の観客の反応を楽しんでいたようだ。

1956年には日本で旧NHKホールでのリサイタルでも演奏している。

今回録音を終えたあとに自分の演奏を聴くとすでに新しい解釈の仕方が浮かんできた。

音楽はその時代を生きている。





20141120

英国王立音楽検定(ABRSM)神戸、大阪、東京にて


ロンドン在住中に教え子たちが年毎に定期的に受験していたグレード試験が、日本でも毎年2回行われる。ABRSMと呼ばれるこの検定はイギリスの英国王立大学が1889年に設立した。プレパラトリー、グレード1から8、そしてディプロマまでの各レベル毎に、弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器、声楽の実技試験のほかに音楽理論の検定も設けている。

この秋は神戸、大阪、そして東京会場で試験の通訳の仕事をし、今日が最終日だった。通訳の仕事は試験官(英国人)と受験者の間にはいって試験問題や質問などを英語から日本語へ、また日本語から英語へ伝えること、試験官の滞在するホテルから試験場までの送迎が主で、会場に待機する受付の方と協力して仕事を進める。

118日と9日に関西での試験があり、慣れない土地で試験官を会場まで案内することになった。普段から方向感覚にはあまり自信がないので通訳するより緊張した。

試験官ニール・ペイジ氏はテノールでイギリスの合唱団(Choirと呼ばれる)の指揮者でもあり初の来日だった。日本のほか中国、韓国など東アジアをひととおり回ってクリスマス前に英国に帰国するそうだ。

神戸の佐藤由有子先生の音楽教室で9日に行われた試験は非常に印象に残る一日だった。

佐藤先生の生徒さん13名のほか、数名が受験し、試験はまる一日かかった。

試験の内容は非常に細かく、質問に即座に答えられるには日ごろの訓練の成果が目に見えて結果としてでることがよく分かる。緊張していても体は今まで蓄積してきた筋肉の記憶で反応するからだ。試験も演奏会の機会と考え、練習してきた、という自分への自信がなければなかなか思うようにいかないことが多い。

オーラルテストで体を気持ちよくゆらしながら手拍子の問題に取り組む子、座ったとたんにピアノを弾き始める子などを見ていると音楽を楽しむことがいかに大切か気づかされた。

佐藤さんの教室では月に2回聴音、音感、新曲視奏などのクラスを設けてトレーニングを行っていると聞いたが、生徒さんの反応がよく気持ちよいくらいに試験がスムーズに行われた。また生き生きとした演奏に引き込まれることも多々あった。


ロンドンでは自分の生徒(声楽、ピアノ)の試験へ向けての指導のほかにも、他の教師の生徒(ヴァイオリン、クラリネット等9)の伴奏の仕事の依頼も多かった。

「今グレードいくつ?」とお互いのレベルをざっと知るには役に立つ。高校や大学受験に際し、もっている資格の一つとして履歴に書ける利点もあるようだった。


試験を受ける生徒たちの緊張感を感じ、また試験官の密度の濃い作業(演奏を聴きながらコメントを書き、

また質問しながら次の教材を用意するなどなど)を目のあたりにして、私も的確にそして親切な助けになるように心掛けた。

忙しいときほど頭の回転が速くなり、あまり考えなくても通訳できるようになってくるものなのだなと感じた。

次回は来年の春。また新しい音楽家たちに出会えるのが楽しみだ。








2014年8月28日 

CD録音 パーセルの歌曲を収録

 

このたび自分のソロのCDをコジマ録音で制作することになり、その録音の前半部分を8月末に行った。録音場所は相模湖交流センター。今回はプログラムの半分であるイギリスのバロック時代の作曲家、ヘンリー・パーセルの劇音楽、歌曲を8曲取り上げた。初日はバロックギターとリュート奏者の竹内太郎さんと歌曲、器楽曲を5曲、2日目はヴィオラ・ダ・ガンバの平尾雅子さんに加わって頂き、同じく歌曲4曲、器楽曲1曲を収録した。

録音当日は最初に音のバランス、音色などをチェックしたあと、楽器とマイクの位置を確認して一回演奏し、それを聴いてみる、という順序になる。今回は先輩のソプラノの木島千夏さんに私の声の状態、音程などをチェックして頂き、録音の進行もお願いした。またTim Harrisさんには英語の発音を会場の奥で確認してもらった。

 

今まで何回か、仕事で依頼されたCD録音に携わったことはあるが、自分のソロは初めての経験。改めて録音する曲の順番や、身体の状態のバランスの大切さを感じた。いくら頭で計画通りに実行しようとしても身体が目覚めていないことには無理なことも多い。限られた時間のなかで、一番優先しなくてはならないことを的確に判断しなければならない。曲によって声の伸び、力強さ、集中力、余分な力を抜くこと、などの必要条件の度合いも異なる。

 

音楽的な面では竹内さんや平尾さんと実際に録音を聴きながら、お互いの曲に対する解釈、演奏の仕方、楽器と歌とのバランスを話し合った。CD録音とは自分が曲をどう表現したいのかを音でしか伝えられない。それ故に演奏会よりも自分の意思をはっきり問われる緊張感がある。木島さんに随所随所で声の調子や、同じ声楽家としての理解の上でのテクニックのアドヴァイスをしてもらうことで歌いやすくなったり、竹内さんからの音楽的な意見でより演奏に深みが増すなど助けられることが多かった。平尾さんには楽器の音色や歌とのバランスをはかるためとても熱心に何度も工夫して演奏方法を変えてみてもらったことや、Timからの妥協のない発音チェックは音楽づくりに説得力を与えた。

皆で、この後にすぐ演奏会をしたらきっと録音以上に素晴らしい演奏ができるかもしれないねと話した。小島さんをはじめ、録音のスタッフの方の協力があってこそ、演奏に集中できることも改めて感じた。

自分の音楽を作り上げていく充実感と相模湖のすがすがしい夏をすこし味わった2日間だった。



2014年7月26日

ロイヤル・アルバートホール “プロムス 2014


ロンドンの夏の風物詩の一つにロイヤル・アルバートホールで開かれるプロムスがある。このホールはイギリスのヴィクトリア女王の夫、アルバート公に捧げられたホールで1871年以来、様々なイヴェントが行われている。約8000人を収容が可能である。

7月半ばから9月の始めくらいまで毎日クラシック中心のコンサートがあり、世界各国から演奏家が集まる。 

私自身学生の頃に所属していた室内合唱団の団員として演奏に参加したこともあり、思えばそれはイギリスに来て最初のプロフェッショナルとしての仕事だった。 

私は例年、お目当ての演奏家、または演目を探して友達を誘っていた。5ポンドで入れるアリーナでより前の場所を確保するためにホールの周りはコンサートの数時間前からチケットの販売時間まで待つ人々の列で囲まれる。私も友達と話しながらその時間を楽しんだ。

 

今年はほかの用事も重なり、コンサートに足を運ぶことを諦めていた。が、たまたま友達と待ち合わせをしていた場所がサウス・ケンジントンだったので、コンサートの30分前にまだチケットが残っているかどうか様子を見に行くことにした。

この日の演目はバッハのヨハネ受難曲で指揮はロジャー・ノリントン。演奏はチューリッヒ室内合唱団とオーケストラ。

会場に行ってみるとまだアリーナの席もあるとのこと。急にコンサートを聴けることになった。アリーナは基本的に立ち見で、疲れたらその場で座ってもよいのだか、そうすると何も見えない状態で聴くことになる。私はイギリスでは決して背は高い方ではないので、演奏中も左右に動きながら指揮を眺めたり、ソリストの顔をみたりしていた。

周りのお客さんをふと覗くと、ビール片手に一人で来ているサラリーマン風の人、ずっと一緒に手をつないでいるカップル、目を輝かせてみている子ども達、コンサート常連とみえるような老夫婦など。一見クラシック音楽には興味のなさそうな刺青をした作業員など、みんなリラックスしてコンサートの雰囲気を楽しんでいる様子が伺えた。 

プロムスはBBCでテレビ中継されていて、大きなマイクとカメラが舞台の上で動いていた。

気がつくと、2時間近くも立って聴いていた。帰り途コンサートの感想をそれぞれ語る人々の声を横に駅へ向かった。

手軽で気軽に,偉大な音楽家の演奏を聴けるこのような機会を人々は自然に生活の一部として溶け込ませている。また明日も行ってみようか、という気持ちにさせられた。

 

2014年3月13日

東日本大震災追悼コンサートを終えて

ロンドンのファームストリート教会で東日本大震災追悼チャリテイーコンサートを行った。

プログラム内容は、フランスのDebussyの歌曲、Brittenの民謡編曲集より数曲、武満徹の歌曲、岩河智子編曲による日本歌曲を数曲とした。演奏は私とピアノ伴奏はロンドン在住、谷山幸香さん。彼女も武満徹、Lizst、などのピアノソロを演奏した。

この教会はイエズス会によって組織されたローマ・カトリックで1849年に設立された。

祭壇の反対側の中央の壁には円形のステンドグラスがあり、日中は外光を通して特に美しい。

このチャリティーコンサートは日本協会のマーティン・デイ氏が中心になって組織して実現した。企画中にフィリピンで起こった台風の救援金の募集も同時に行うことになった。コンサートにはロンドン在住の日本人、日本協会関係者、ロンドンの日本大使館関係の方々、地元のイギリス人、友人など100名を越える人達が集まった。

演奏中に観客の皆さん一人ひとりと視線が合うたびに、私が日本人であり日本で育ったことと、ロンドンで長い間生活してきたこれまでの人生が混ざり合ったような感覚がした。

震災が起こった3年前の311日、私は母とパリに旅行に出かけていた。ロンドンのイギリス人の同僚から携帯電話にメッセージが入り、事情を知った。日本で起きていた出来事が現実としてすぐに受け止められないまま、ロンドンに戻った。

数日後、母は予定していた飛行機で日本に戻る際、空港で私に「どこにいても何かは起こるわよ」といって別れた。一人で戻る地下鉄の中で、自国を離れて暮らしていることの重さを考えずにはいられなかった。

週末、いつものように教会の聖歌隊の仕事に出かけ、指揮者に「大丈夫か?」と聞かれ、ロンドンで普通に生活を続けているが、私は日本人なのだという自覚を持ち、とても複雑な気持ちがした。

週明けに学校の仕事が始まり、電車の中で新聞を読む人々のトップ記事は日本のことばかり。あまりに読む記事が多く、一日目はうっかりして電車を降りそこね、一駅先まで行ってしまった。(それで遅刻してもその日だけは誰にもとがめられなかった。)

一週間くらい毎日新聞に目を通していたが、今まで知らなかった日本の原子力発電所の場所や状態、計画など、生活に密接している環境の問題などを切実に理解するきっかけになったことは確かだった。日本は自然災害が起こる国であり、そのことを私達が制御することは不可能なのだから、災害対策を考慮に入れて何事も考えていかなければならない。災害は起こるかもしれない、のではなくていつかは起こるもの、なのだから。

ベンジャミン・ブリテンが残した言葉の一つに「芸術家は地域社会の一員として働き、共に生き、役立つべきである」と述べている。

芸術家こそ、社会の出来事に敏感で、主張を持ち、演奏を通じてメッセージを届けることができる立場にあることを私自身再確認した。それと共に、二つの国の環境と習慣のなかで培った経験をこれからどのようにして生かしていこうかと考えさせられた。






2013年11月28日 
映画「椿姫ができるまで」を鑑賞して
 
 
2012年、ニューヨーク映画祭で上映されたドキュメンタリー映画「椿姫ができるまで」を鑑賞した。

ヴェルディ作曲のオペラの中では椿姫の登場人物は一般大衆。主役のViolettaを演じるのはフランスのソプラノ、ナタリー・デセイ。舞台演出家はジャン・フランソワ・シヴァディエ、監督はフィリップ・ぺジア。指揮はルイ・ラングレ、演奏はロンドン交響楽団。

物語は高級娼婦のヴィオレッタと青年貴族のアルフレードとの愛について書かれたもので、映画のほとんどはリハーサル風景が中心の作品ができるまでの様子だった。
オペラの舞台監督が歌手に求めるものは、内面的な気持ちの揺れ動きを鑑賞する側に分かりやすく演技する、ということだった。
役柄を理解し、自分自身の体から湧き上がる感情を絶え間なく表現しなければ人に何かを伝える説得力はかけてしまう。その上でなお監督の要求を理解し、それに応じるのは歌手としての人生経験が必要とされる。
ジャン・フランソワ・シヴァディエの意見に対するナタリー・デセイの受け答えが率直で、またジョークが緊迫したリハーサルの現場に心地よい息継ぎのような空気が入ってくるように感じられた。
この映画からナタリーの歌唱力、役柄に対する姿勢、体力、精神力のバランス、スタッフのコミュニケーションとの取り方など益々魅力を感じた。

個人的には舞台そのものよりこの舞台を作り上げてゆく過程が最も充実した時間に感じる。
 
 

 

2013年9月5日
 
ブリテンのオペラ「ピーター グライムズ」の映画を鑑賞して
 
ベンジャミン ブリテンの生誕100周年を記念して様々なイヴェントが行われている。
今回は彼の故郷であるオーデバラの海岸で行われたオペラ「ピーター グライムズ」が映画化されたと
聞き、早速ロンドンのコベントガーデンにある映画館に足を運んだ。
 
「ピーター グライムズ」の脚本はジョージ クラブの詩 The Borough を改作したもので、社会的批判、虐待、悲劇の連鎖を描いた内容になっている。
オープニングはピーター グライムズが彼に弟子入りした少年を殺した疑いで地元の人々に非難されている場面から始まる。彼の心の葛藤と行動、人間関係を中心に、村の人々のそれぞれの心境を映し出している。
 
オペラの舞台での様子とともに海岸を歩くピーターの姿が映画の場面のみ特別に撮られていて、足どりの音、海の波の音、それから雲の様子を大画面で見ることで、映画としての効果が鑑賞する側を一層楽しませてくれた。
何よりも圧倒させられたのは、やはり歌手たちの素晴らしさだった。言葉と歌とが互いにエネルギーを与え合って物語の流れが絶え間なく耳と心に訴えかけてくるような演奏で、150分間があっという間に過ぎていった。
 
実際オーデバラまでオペラを見に行ったというピアニストの友達と次の日仕事で一緒になり、ライヴの話をきいたりして盛り上がった。この映画が来日したらまた見にいきたいと思う。
 

 

 

2013617

 

 

初夏のコンサート

 


 

ケント州にある地域の合唱団との演奏会が今年もやってきた。今回のプログラムはペルゴレージのスタバトマーテル、モーッアルトのLaudate Dominum、メンデルスゾーンのHear my prayer などでソリストはアルトのニコラと私の二人だった。


 

当日の3時間ほど前にリハーサルがあって、オルガ二ストのアンドリューと曲を合わせることになった。彼とはこの仕事で知り合って4年ほどになる。もともと楽譜の編集をしたり、オルガンを教えたりしていた彼だが、今ではリタイアして、主に合唱の指導にあたっている。「最近はあまり弾いていない。」という言葉のとおり、細かい音符になると演奏がふらついてしまうのだが、歌の言葉の抑揚、私の息継ぎのタイミングなど、歌い手の意向を読み取ってもらえる。一回目に互いに様子を見た後は、2回目で確認。後は本番ではただ演奏を楽しむことに集中してのぞんだ。


 

本番が終わったあとに、アンドリューの奥さんのブレンダが、私がわざわざ東京からこの演奏会にやってきた(ちょっと大げさだが)ということや、ニコラが最近結婚した、だとかを報告し、とてもアットホームな雰囲気になった。記念写真を観客がいる前で撮ったのだが、客席と合唱団員のスマイルがとても暖かく、春の花畑にいるような気分になった。合唱団のメンバーからもらった花の中に紫のバラがあり、私のドレスの色とマッチしていた。実をいうと、もうひとつ違う色の花も用意されていたに気がついていたので、「紫のほうがほしいなあと願っていたのよ」とニコラに舞台で話した。花束ではなくて、鉢植えだった。袋も入れ物ももらわなかったので、帰りの電車でも体の前に抱えて帰ることになった。その大きさと魅惑的な強い香りに包まれてコンサートの余韻を楽しみながら帰宅した。


 

 

 

 

2013611


UK and Japan 400 years anniversary Concert

英国と日本 400年記念コンサート


今年2013年はイギリスの船が初めて日本に到着し、日英二国間の外交、通商、化学、文化の交流を結んで以来400年たった年だ。これを記念して当時のイギリスの船長であったJohn Sarisが埋葬されたロンドンの教会、All Saintsでのコンサートで歌うことになった。


私は弦楽四重奏との共演と、小編成のヴォーカルアンサンブル(四重唱)で歌うことになっていた。メンバーは全員イギリス人で、現在プロとして活動している人の他に、以前オックスフォードの大学で聖歌隊の経験のある人、弁護士などがいた。

 

四重唱のリハーサルがコンサートの2日前にあった。一度曲を通して、バランスと、必要な注意事項をお互いにはっきりと言い合う。初対面人々と音楽を作り上げていくときに大切なのは、自分はどう考えているのかを演奏で、積極的に示すことだと思う。

その中で、ものすごい早口の曲(The Mermaid)があり、幸か不幸か、自分のパートに2番まるまる一人で物語を語るところがあった。普段使わない言葉と発音が入り混じっていて、舌をかみそうになった。それでも、より語るように歌うことで、早口と感じることがなくなってきた。叫べ!というような言い回しでしゃべるところもあった。

当日になり、会場である教会に向かうと中は日本のだるまが正面にあり、浴衣を着た子供たち(英国人)がいたりで、国籍と文化が交換された空間に入り込んだような気がした。

 

プログラムは旅によって構成されており、前半1600年代のイギリスの音楽から始まり、後半は日本に到着して日本の音楽、民謡など。最後にイギリスの船が母国に戻って終わる。音楽のほかには、ダンス、それから詩の朗読があった。

 

今回このコンサートに出演している人たちは、なんらかの形でイギリスと日本の文化に関わっていることは知っていたが、予想以上の参加者と、日本文化への興味と理解の深さには驚かされた。ピアニストの小川典子さんともお会いして、そのことを話したりした。

 

400人以上の観客が集まり、教会は満席になっていた。コンサートの前には鏡開きが行われ、日本酒がふるまわれた。すべての曲、演目は旅、船、海をイメージしたもので、演奏する側も聞く側も旅している気分になった。どの演奏もとても素晴らしく、あっという間に時間が過ぎていった。

コンサート後には日本協会、日本食レストラン、また国際交流基金の関係者の方ともお会いすることができた。

 

演奏後、近くのパブに共演者と向かった。帰りの駅のプラットホームで次の日を迎え、電車の中であれこれ音楽について、話した。「また400年後に同じ場所とメンバーで演奏しようか。」と冗談を言いながら別れた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
20113年5月22日
 
AVL Japan ボートパーティーにて
 
 
AVL Japan(世界のエンジン・自動車産業をサポートする企業)のボートパーティーでの演奏の依頼があった。
場所は横浜の山下公園から出発するマリーンシャトル。
当日の午後、東京フィルハーモニー交響楽団の弦楽四重奏の皆さんと一緒に近くのスタジオでリハーサル。チェロの長谷川陽子ちゃんと責任者の下島さん以外はお会いするのも初めての方ばかりで初めまして、とほぼ同時にリハーサルが始まった。
実を言うと弦楽には個人的な憧れがあったので、とても楽しみだった。AVLの本社はオーストリアということもあって、MozartとSchubertの歌曲を選曲した。それらを1回通して、私の思う曲の解釈と雰囲気を伝え、2回めで意向をくんでもらい、次の曲に移った。Yuo raise me upとふるさとも歌うことになっていたので、そちらもさらっと通して、なんとなく私のことをわかっていただいた感じがした。
弦楽4重奏のみの演奏は他にもあり、彼女たちは私が来る前にもすでにリハーサルを始めていたようだった。
 
本番まで時間が少しあったので、山下公園の近くの喫茶店でお茶をしてから、マリーンシャトルの中へ。船の先端が舞台のようになっていて横からの景色もとてもよかった。しばらくして船が動きだすと、予想以上に揺れ、私の出番のときは、移動中もふらふらしてくるような状態になった。
 
ドレスの中で足を踏ん張りながら歌うことになり、会場の食事の音などで、なかなか普段のコンサートのような状態ではなかったが、弦楽の皆さんの音楽的なサポートで気持ちがよく演奏できる部分もかなりあった。
終わったあとは、皆で乾杯して、食事も堪能した。
 

 
 
 
 
2013年5月11日
 
春風コンサート
 
先日多摩市、からきだ菖蒲館のホールにて、春の小さなリサイタルを開いた。ピアニストはロンドンでかれこれ5.6年前に知り合った木村佳野さん。
 
 
プログラムは、Debussyの歌曲からRomance, Pierrot, Clair de lune, 続いてピアノ曲のClair de lune.
次にBenjamin Brittenによる編曲でイギリス民謡、Early one morning, O Waly Waly.
そしてRavel のピアノ曲、道化師の朝の歌
日本歌曲は岩河智子さんの編曲であわて床屋、ひらいたひらいた、そして汽車ぽっぽ。
 
天井がわりと高いのだが、会場の響きはあまりなく、自分の声がやけにちかくに聞こえた。コンサートは朝の11時からスタートしたのだか、正直言って
体はもちろん気持ちが乗るのに努力が要った。この二つがリハーサルで感じたことだった。
 
コンサートが始まると、会場は狭いので、歌っている目の前に親戚の伯母さんたちや、幼稚園のころの担任の先生たちの顔がみえた。
日本で演奏会をすると、自分の人生のアルバム作りをしているような気分になる。
 
フランス歌曲やイギリス民謡を日本で歌うと、長年ヨーロッパに居た経験、自然、街の空気、建物や人々の関わりがどれだけ大切なものだったのかということに気が付かされる。
日本歌曲は私にとってはややご無沙汰だったので、違う緊張感があった。しばらく日本に住んでいなかったので、練習時は歌の情景が浮かんでくるのに少々時間がかかった。
アンコールの後に全員で”花は咲く”を歌った。こういうとき、どうしても指導したくなってしまう。
 
今回は2曲ほど地元で指導しているコーラスのメンバーが出演し、コンサートの後はコーヒー、お茶、そしてロールケーキがでて、会場も最後まで盛り上がった。
 
 


 


2013年2月18日

 

姫路新春セミナーにて
 
2月18日、兵庫県姫路市にあるホテル日航姫路にて石丸商会新春セミナーが行われた。
これは資生堂のメイクアップアーティストの上田美江子さんが中心となって、ヘアカット、メイク、ドレスの着こなしなどのレクチャー、デモンストレーションを
行う、という内容で、今回私はヘアアレンジのモデル兼歌の演奏を引き受けることになり、特別に衣装も借りて歌うことになった。
 
一曲最初に歌ったあとに、上田さんからと私のトークになり、歌に対する自分の気持ち、キャリアについてなどを説明した。その後もう一曲、”花は咲く”を歌った。
 
 
下の写真はなんと上田さんがステージ上でアレンジしたもの。 
 
そしてドレスはAliansaさんの和ドレス。
洗練されたデザインと生地の美しさ、そして存在感のある白銀ドレスだった。

 
 
最後に客席をまわりながら最後にもう一曲。何人もの人と目があい、心地よく歌えることができた。

 






                               
 
                               2012年7月25日

     バッハ、モテットのコンサート 

4、5日前にバッハのモッテト(226番と228)のコンサートの仕事の依頼があった。

Yes と返事をすると、その後に「実はアルトがほしいので、それでもいいか?」とメッセージをもらった。私がアルトの音域を歌うような歌手ではないのは分かっているはずだし、きっと誰もいなくて、最後に私に頼んできたのかなと思い、「かまいません」と返事をした。楽譜を送ってくれると聞いていたので、それまでは気にしないで待っていたのだが、送られてきたのは前日の早朝。読みを音を出さずにざっとどんな感じなのか見るためにページをぱらぱらめくった。

大丈夫のような、そうじゃないような気がした。たまたま家にCDがあったので、それにあわせてなんとなく歌ってみたら、思った以上に音程がとれない。というのは、日ごろ歌っている音域ではないところばかりで体がついていかないのだ。それでも何回か通してみて、曲の構成だけは把握した。

翌日のコンサートの場所はSt Annes Lutheran教会。バロック建築で1680年にイギリスの建築家、クリストファー・レンによって再建設された、英国国教会、ルター派の教会である。この夏ここで17周年バッハフェステバルが開かれていて今回のコンサートはそのシリーズの一部だった。

コンサート当日の2時間前にリハーサルだった。8人いるシンガーのうち隣の歌手に一言挨拶して、早速リハーサルになった。バッハのモテットはリズムの切れが命である。もちろん音程も。自分のパートは自分ひとりなので、明確なスタートが他のパートを助け、エネルギーと集中力を継続していくのだと痛感した。一回通した後に、オルガニスト(兼指揮者)が一言「出だしの冠詞は名詞よりも強調されすぎないように」とコメントした。このことは曲全部のフレーズ感と、音楽性と息の使い方、すべてを思い起こさせるような一言に聞こえた。

1時間ほどでリハーサルが終わった。あまりに集中していて30分くらいにも感じた。

今さっき知り合ったとなりのソプラノの彼女と二人で、「一気に目が覚めたわね」と言い合った。

 本番まですこし時間があったが、同僚とおしゃべりをしているうちわってい。イギリスの習慣のティータイムである。根つめて練習はほとんどしない。

教会はほぼ満席で、本番が始まった。不思議なことに練習よりも瞬間瞬間がゆっくり流れて感じた。指揮とアンサンブルと自分のパートが一つになって演奏されてゆく心地よさが緊張感の中に生まれていた。曲がまだ自分の体に染み付いているほど練習する時間もなかったので、半分初見の感覚もあったが、リズムを体で感じ、聞こえてくるハーモニーと自分のパートとのコミュニケーションをとって積極的に演奏するのみだと思った。

普段はソプラノなので、今回の経験は和声感覚に刺激を与えるトレーニングにもなったいい機会だった。また、たまにこういう機会があったらいいと思う。

 
 
 
 
                                                                  2012年7月14日

現代音楽コンサート・リハーサル

 

ロンドン初演という現代音楽のコンサートに合唱の仕事を依頼されて出演した。アイルランド生まれ、ウエ-ルズで育ったStephen McNeff作曲のThe Chalk Legends.

内容は古代と現代の魔法の物語で、ロマンス、コメディーが入り混じったもの。バイキング(海賊)が陸地に上がって地元のアングロサクソン族と出くわす、という展開になる。

「子供達の合唱の部分を手伝ってほしい」と合唱のダイレクターに頼まれ、当日のコンサートの5時間ほど前に会場に行った。既に、子供達が練習していて、楽譜をその場で渡されて「一番上のパートお願い」と言われた。どこの場面で何について歌っているのか良く分からないまま、書かれているものを忠実声に出してなんとなくついていった。ピアノもなかったので絶対音感のあるもう一人の助っ人のソプラノがリーダー役になっていた。

舞台ではコンサートマスターが他のリハーサルを同時に行っていて、周りはコスチュームを着た俳優や、ソリストがせわしなく動いていた。ホールでは休憩に飲み物(アルコール類)がでるバーがあり、中にいるだけでビールのにおいでいっぱいだった。

20分くらいして、「じゃあ、いったんオーケストラとあわせてみようか」と呼び出しがあり、舞台の横にある階段に子供達と上がった。

“私は本番で子供に混じって歌うのか”とあらためて気がついたが、だから私が呼ばれたのかとも思った。自分より背の高い子供達も多く、(といっても彼らは14歳くらい)舞台は暗くさらに一人ひとりはそれほど目立たなかった。

実際にリハーサルが始まって、初めて曲が流れ音のバランスが耳に入ってきたコンサートマスターは以前仕事をしたことのある人だったので、彼のはっきりとした正確な指揮について行けば音楽になるということを思い出した。リハーサル中にはライトが赤くなったり、青くなったり、楽譜が全く見えなくなったりした。それでも音楽はとまらず、とにかく譜面に書いてある音を絵のように(高い、低い、リズムもイラストのよう)思い浮かべながら歌い続けた。「え、全然楽譜見えてなかったの?」と後からコンサートマスターが気がついたようで舞台の係員に言っていたのが聞こえた。

子供たちはもう既に数日前から何回か練習をしていたようで、無意識にメロデイーが頭に入っているようだった。私は今見たばかりで、ものすごい早口言葉がある部分などついていけないと思ったが、ついていかなければここに来ている意味もない、と必死だった。

休憩のあと、もう一度最初から通した。3時間ほどで練習はおわり、それっきりで、あとは本番だった。もう一人の助っ人のソプラノのクレアの家にお茶を飲みに行くことにした。「もう十分やったから楽譜は持っていかないでいいわね。」という彼女の言葉に同意した。本番集中するのみ、ということだ。

  

 

現代音楽コンサート本番

 

クレアのフラットで、彼女が出演したというテレビ番組(歌も歌うが、実はチェロが彼女の専門)をパソコンで観たりして時間が過ぎた。私はその日、子供達が黒の上下を着るということを知らされていなかったので、クレアにドレスを借りて。彼女はイギリス人にしては体も小さいのでちょうどサイズが私に合っていて助かった。

コンサートの30分前に会場に戻って、席についた。客席はほぼうまっている様子だった。

舞台の脇の階段のところに並ぶと、音楽が始まった。ソリストが本番になって初めて衣装と着ぐるみのような格好で登場した。神話のなかの登場人物のように思えた。その着ぐるみからソプラノの美しい声が響き渡った。彼女の澄んだ、リズム感る、エネルギッシュな演奏はオーケストラ、指揮者との曲の解釈にマッチしていて魅了させられた。

出番が近くなり、舞台の脇の階段の中央に子供達と向かった。階段はほぼ真っ暗で、一人ひとり、クリップのついた小さな携帯用のライト(懐中電灯のようなもの)を楽譜につけて歌った。本番はこれ一回。オーケストラとの演奏はフレーズの最初の部分がはっきりと演奏されないと全てが遅れて客席に聞こえてしまう。現代音楽の場合、リズムも込み入っているので、自分でもしっかり拍を数えること、そして指揮を常に見る、または感じることが絶対である。気のせいか、全体的に自分の周りに子供達がくっついてきているように感じた。楽譜がまっすぐ開けない状態になったりもして、例のライトもふらふらしてきた。

楽譜が階段から落ちないかということのほうが、よっぽど心配だわ“と思いながら拍をかぞえ続けた。

一回目の出番が終わり、階段の脇に下がって楽譜を確認した。その横では他の登場人物が待機しており、野生の動物のような格好をした俳優が10人くらい脇を通り過ぎた。

舞台には大人のコーラスが激しい打楽器の演奏とともに大合唱を繰り広げていた。あまり鑑賞することに没頭しすぎる出番を見過ごすので、常に楽譜に目を通していた。実は私と子供の合唱の指揮者以外はこどもたち自身がどこで出番なのか把握していなかった。

もう一方の階段では、下のパートの(クレア達が歌った)子供達がいて、こちらの動きに合わせてでたり入ったりしていた。

Stephen Mcneffの音楽は魅惑的なハーモニーととここちよいリズムの組み合わでつくられた旋律が魅力的だった。

 一日限りで学んで、練習して、そして本番で終わったという短く、また長い一日だった。

   
          
 
 
               2012年6月20日
 
 
 
               リコーダーグループ
 
 
 
 
今勤めている学校の小学2年生の子供達にリコーダーを教えている。私自身小学校、中学校と親しんできた楽器であり、依頼があったときは気持ちよく引き受けた。
 
レッスンは学校の休み時間に希望者のみに行われる。今年の希望人数は年のはじまりにはなんと20人以上だった。
 
最初の1週目はトライアル日になり、心の中で私はこれで人数が減ってくれたらと願っていた。2グループに分けたとしても、1グループにして12人は多すぎる。
 
2週目になって、様子をみても子供の人数は減っていない。うれしいような困ったような。
各グループ12人中10人は全くの初心者。教室中に響き渡るリコーダーの騒音。
 
まずは、正しい姿勢とリコーダーの持ち方から始めた。私のインストラクションに落ち着いて耳を傾ける子供に「はい、じゃあ今日はモリーをアシスタントにするわね。」と言うと、クラスがとたんに集中した。とにかく、皆、アシスタントになりたいらしい。
 
3週目には、タンキングの練習の後、最初の音B()に挑戦。ひとりひとり吹かせて、皆で聞きあうことに。なにしろ指も小さいので、うまく穴を押さえられないことも多い。
フランチェスカというイタリア人とイギリス人のハーフの女の子の番になった。音がこもってでてきたので、本人も少しおかしいと感じたよう。「どうしてそうなるのかしらね?」解決策を探してもらいたくて聞いてみたら、「このリコーダーの調子がわるいのよ」と言って自分のリコーダーをぽんぽんとたたきだした。本気でそう思っていたようだ。
 
4週目はグループに分かれて、おのおの1フレーズずつ演奏。そして感想を述べ合った。
 
自分ができる、できないはさておき、人の演奏に対する感想、印象、良くなる方法、など実に説得を持って語る子供達。 正直言って関心してしまった。
「じゃあ、だれか先生になって教えられる人はいないかな?」と言っている最中から「Me, Me!!(私、私!)ほぼ全員が手を上げた。普段、おとなしいルーシーもやる気になって手を上げていたので、「じゃあ、今日はルーシーね」と機会を与えることにした。ところが、いざさされると「ええと、何をするんだっけ」と、頭が真っ白になっていた。
 
5週目あたりになると、大抵、「Miss Murai,今日だけリコーダーお休みして良いですか?」という申し出がきこえだす。忙しいからというのが言い訳だが、実は外で遊びたい子供がでてくる。「今日出席しないと、もう来週には次に何をするか分からなくなるよ」とだけ言っておいた。
レッスンが始まって10分くらいすると半泣きで例の彼女が戻ってきた。どうやら、担任の先生に厳しく言われたらしい。
 
6週目。パートに分かれて練習。子供はなんでも正直に言いたいことを言うだけに、批判も鋭い。「キティ、そんなに強く吹いたらだめだよ、私たちのパートにはまだ入れないわね」
当然キティの目からは大粒の涙。あわてたのはイミー。「本当のことを言っただけなのに」
とりあえず、私の隣の席(アシスタントの席)に座らせた。そして彼女がきれいに吹ける場所だけソロを吹いてもらうことにした。
 
7週目。もう皆自分のパートの出だしの部分や、最初の音とリズムなど、全て分かっていていいはず。ところが、一緒に演奏すると全く違う音が何人からか聞こえた。
「まだ、この中で2人、最初の音を間違えている子がいるんだけど」と私が子供たちの目をじっくり見ながら言うと、ほぼ全員「It`s not me!(僕じゃないよ)」と自身満々で答える。大体誰が間違っていたかは私は分かっていたけれど「そう、じゃあもう一度皆でやってみようね」とそのまま繰り返して演奏させると、今度はまとまってきた。
 
レッスンは1年間行われ、最後の週に全体集会で演奏することになった。
100回くらい練習したのでは、と思われる彼らにとってはとっては大曲が2曲。
Old MacDonald Joe,Joeを発表。それぞれソロのパートや、2パートに分かれるところもあり、やる気になった子供を中心に最後には全員が食いついてきた。
 
レッスンの間はわたしが子供たちと向かいに座ってピアノの伴奏をしながら、指揮をする形だったが、ホールは広く、私も子供達と一緒に観客に向かって伴奏をする形となった。
いつも前奏に間違えて吹いてくる子が必ず1人はいたので、どうなることかと思ったが、皆の集中力にまかせるしかない。
 
本番はだれも間違って出ることなしに、皆音楽にのってがんばっていた日ごろの練習の成果が頭ではなく、体で学んだこととして現れているのが良く見えた。この経験がどの子にとってもまた次への挑戦とこれからの自信につながったことは間違いない。
 

 
 
                                                      201262
 
               ウォルフソンカレッジ ケンブリッジでのリサイタル
 
昨日、土曜の午後にケンブリッジでリサイタルを行った。ウォルフソン大学の敷地内にあるホールで、地域の住民、音楽家、大学生らが観客の中心だった。
 
プログラムは主に3部構成で、シェイクスピアの戯曲の中で使われた歌、また言葉を歌にしたものが1部、2部がヘンリーパーセルの歌曲、そして3部が日本の歌曲を日本語と英語版にしたものを組み合わせた。
 
今回はロンドン在住のリュート、アーリーギター奏者の竹内太郎さんとの共演。
彼は演奏家、またレクチャラーであるほかに、教則本も出版している。彼の数え切れないほどの大きな演奏経歴を尊敬し、音楽に対する誠実な姿勢をとても魅力的だといつも思う。
 
シェイクスピアの戯曲に実際書かれていた歌は、その前の台詞を朗読した。
死を目の前にして、それでも自分の夫(Othello)に忠実なDesdemonaの気持ちが、母親のメイドが歌った歌を通じて表現される。
2曲目は、「ヘンリー5世」の中からのコメディーで、戦争中にイギリス人とフランス人の兵士が出会い、お互いの言語を理解できなくて勘違いの連続のダイアログを読んで説明した。
 
そして、私も初めてちょっとだけルネッサンスギターの弾き語りをしてみた。客席から大丈夫か、と思われていると思ったので、事前に「歌い手(イギリス人兵士)はギターの初心者で・・」と言っておいた。歌う寸前には「そして彼はおそらく酔っ払っていたかもしれませんね。」と思いつきで付け足した。この歌はそういうわけで私が弾くのだと、説明しておいたほうが私もリラックス、お客さんもリラックスと感じたので。終わった後はつくづく、考えるよりも実行だなと思った。
 
プログラムはヘンリーパーセルの歌曲に移って、その後は日本歌曲を数曲歌った。
 
中田章作曲、「早春賦」を取り上げた。リハーサルをしていた、ちょうど一週間前のロンドンは涼しく、「こんな季節にはあっているよね」と太郎さんと話していた。ところがその後イギリスの気候はとても暑くなり、夏のようだった。 数日前のリハーサルで、これじゃあ、早春賦を聞いていてもなんだかそぐわないなあと思ったが、イギリスの気候のことだからまあ、様子をみることにした。
当日はまた涼しくなった。「そういうわけで今日の天気は反対にほっとしました。」とお客さんに説明した。
 
バロックギターでリズム感のある前奏が始まると、まるでイギリス音楽が始まるのかなと思うような、そんな出だしがとても気持ちよく、自然に歌いだすことができた。前奏や間奏などもとのピアノの楽譜をギターがそのまま使っているわけではないので、いつもどんな風に始まるのか、なんとなくおぼえている程度なのだが、それが演奏に新鮮さとほどよい緊張感をもたらしているのかもしれない。
 
武満徹作詞、作曲の「小さな空」を英語と日本語で歌ったあと、「ふるさと」も日本語と英語で歌った。
 
同じ内容の詩を2カ国後で歌うのは、言葉の捉え方や、感情のこめ方が異なる。それを各節ごとに歌い分けるには、言葉の抑揚と詩の解釈の深さが問われると感じた。
 
イギリス人が日本語の歌詞を聞いて、どんな印象、感情、また親近感を持つのかは興味深かった。普段、英語の歌をイギリス人の前で歌っているのとは、また違った緊張感、そしてメッセージの深さと表現力とを必要とするなと、歌いながら感じた 
 
この後にパーセルのキングアーサーから、愛の女神がブリテンにやってきて、幸せについて語るアリア“Fairest Isle”でコンサートを終えた。
 
終わったはお客さんから感想を聞いたり、曲について話あったりした。このような交流はとても励まされ、かつ今後の活動にとても役立つ。
 
ケンブリッジの自然と人々の心の温かさの心地よさに包まれていると、また新たなプログラムを考えたくなった。
 
 
 
 
 
 
                             竹内太郎氏作製のルネッサンスギターで演奏
 
 
  
 
                             
2012年5月21日

 

英国女王即位六十周年記念コンサート

 

 

 

 

 

ロンドンを南に外れた郊外にあるケントで、地元の合唱団の演奏会にソリストとしての仕事で歌った。

ここ4年くらい毎年呼ばれて歌っているが、今年はエリザベス女王の即位60周年記念にちなんで、歴代のイギリス女王のために書かれた作品をテーマにしたプログラムだった。

17世紀,18世紀に王宮にて支えて働いていた作曲家、パーセル、ヘンデルの作品を中心に、そのほか19世紀、20世紀の作品を集めて演奏した。

 

Purcell  Come ye Sons of Art'

Handel  Eternal Source of Light Divine',

Ode for the Birthday of Queen Anne  

Somervell With still increasing blessing

H.Walford Davis Hark! The world is full of they praise

Anthony Holborne The Queen`s new year`s gift

John Ireland The Hill

Vaughan Williams' 'O taste and see' (written for the 1953 coronation)

 

オーガナイザーのアンドリューは60歳(くらいに見える)過ぎのオルがニスト、奥さんのブレンダはピアノの先生。合唱団員は地元の定年退職をした音楽愛好家達で、毎年このコンサートを含め数回の演奏会のために集まるそうだ。

 

がいつも楽しみなのは、アンドリューの作るプログラムの内容である。テーマにとても忠実で、今回も合唱曲の中のいくつかは、今は楽譜が出版されておらずブリティシュライブラリー(英国図書館)に許可を得て印刷をしたものあった

「誰もそこまでして、リサーチをしないのよ、クイーンのために書かれた作品はそのときのみに使用されるだけだから」とブレンダは言っていた。

 

リハーサルは当日3時間前に一回通して、本番だった

他のソリストたちと一緒にコンサート前にTea(軽い夕食のようなもののこと)をご馳走になった。やっぱり英国人はサンドイッチが定番。そして同じ量のケーキも頂く。

 

本番はすぐ近くの教会。いつもながら会場は春でも寒い。それでも肩だしのドレスでいく。

 

演奏前にアンドリューがプログラムのコンセプトの話をした。

最後に「今回のようなプログラムの演奏会は今までに聴いたことがないものでしょう、そしてこれからも決してないでしょう。」と言っていたので、会場は笑いに包まれて、面白かった。

 

演奏は始まり、寒さも忘れて楽譜を追った。

 

客席と目が良く合ったので、それも楽しんで歌った。2重唱もあったので、いつもながら本番でも相手の歌手の(イギリス人)発音の仕方を良く聞いてそれにあわせながら演奏した。

ネイティブの歌を聴くと、正しいの位置と、唇の使い方で、どの国の言葉も音楽とともに自然に発音するようにできているのだなと思う。

 

アンドリユーは地元で楽譜を編集したりする仕事をしている。彼の演奏はややふらっとしていて、時折(大丈夫かな、、)と思うのだが、音楽性は消して失わない不思議な印象がある。

 

音を確実に拾う練習はせず、どんな雰囲気の曲なのかという演奏をいつも自然にしているように思う。

 

合唱団もそれに似ていて、(あれあれー)とリズム感を心配したくなるときも多々あるのだが、皆とにかくその場を大いに楽しんでいることは伝わってくる。

両者とも音楽にまつわる歴史、習慣については非常に詳しかったりする。

 

終わった後はレセプションで数人の人(観客)と紅茶とビスケットでの交流。感想を伝えてくれる人もいておしゃべりを楽しんだ。

もらった花束を抱えて「いつもこれが楽しみで歌いに来てるの。」とブレンダにこっそり言ったのに、彼女はそれを廻りにいる人に声を大にして伝えていた。

紅茶を飲み終わるとすぐに帰りの電車に飛び乗った。

 

来年はどのプログラムにしようかと、今から考案中でね」と駅まで送ってくれた車の中で

アンドリューが私に言ってきた。「楽しみにしてます。」と返した。

 

家にたどり着いたのは夜中の12時近くだった。急いで花束を花瓶にいれた。

5種類ほどの花々のうち、大きな百合が3本、まだつぼみなので、これからしばらく花の香りに包まれて生活できる。

 

 

 

 

 
 
 
                                                               2012年5月18日   
 
 
 
ワーグナー  さまよえるオランダ人   その1
 
        

昨夜、イングリッシュ・ナショナル・オペラ劇場に足を運んだ。演目はワーグナーのさまよえるオランダ人。ENO(イングリッシュ・ナショナル・オペラ)での公演はすべて英語で歌われる。

このオペラは、ワーグナー自身がリガからロンドンに船旅をしていたときにインスピレーションが沸、ドイツ人の詩人、ハインリッヒ・ハイネの「さまよえるオランダ人」を題材にして作曲た。

初演は1843年、ドレスデンでワーグナーの指揮によって行われた。

舞台は18世紀のノルウェー。あらすじは、嵐の日にのろいにかけられこの世と後世をさまようオランダ人船長の亡霊が、永遠を誓う女性をもとめて7年ぶりに現世にもどって来という内容である

ノルウェー船の船長ダーラントに出会ったこのオランダ人船長は、ダーラントに彼の娘を花嫁にすることを申し出る。オランダ人船長の財宝に目がくらんだダーラントはこれを承諾。それによってオランダ人船長はのろいから解かれることができるのだ。

幕があいて、舞台はダーランドの娘が少女のときの場面から始まった。実はこの子役は私が今、教えている学校の歌の生徒だった。まだ小学校4年生で背丈の小さい、まっすぐなブロンドの彼女は舞台ではさらに小さく見えた。ベッドに横たわり、父親に寝かしつけられ、おもちゃの船で遊んだりしている姿は音楽の流れに自然に入りこんでいて、生き生きとしていた。

ダーラントとオランダ人船長が娘を嫁にすることでやり取りしている時、少女(ゼンタ)は財宝を手にとったり、周りの様子をパジャマ姿のままでベッドの上に立ってのぞいたり、舞台の登場人物と直接はかかわりのない形で存在していた。

台詞は一切なく、動きのきっかけは全て音楽によって成り立っていた。前半45分間ほどの舞台のあとは、物語りはゼンタが成熟して、かつては思いを寄せあっていた恋人のエリックの存在にも目を向けずに約束された結婚にしたがう展開になる。

 

ワーグナー さまよえるオランダ人  その2

今回のオペラプロダクションは本来ワーグナーが意図したように休憩なしで上演された。

このことにより、観客は物語の前後関係を密接に追うことができ、音楽の上での各キャラクター性(人物であったり、物事であったり)を流れの中でより味わうことができるように思った。歌と演技と舞台が途中どこかで留まることなく、常に流れている、と感じた。

エリックの懇願にもかかわらず、あくまでオランダ人に誠意をむけるゼンタ。死をもってしても思いは変わらないと訴え、彼女は自ら海の中に飛び込む。これが彼を救済することになる。オランダ人とゼンタは天国へ舞い上がった。

 オランダ人はこの瞬間、舞台から消え、(本当にぱっと消えた!)ゼンタの最後の訴えかけるような誓いの場面はに印象的だった。

もともとはドイツ語で書かれたこのオペラだが、ENOでは全て英語で歌われ、英国人のダイレクターによる公演はそれなりに興味ぶかいところもあった。

以前ENOのオーケストラのメンバーからその年によって、異なるプロダクション、色々な形式を試みているのだと聞いたことがある。

公演が終わり、一緒に席に座っていた学校のほかの職員たちと劇場の入り口まで教え子に会いに行くことにした。

「あの子、普段は同じこと10回以上は言わないと覚えられないのによく演技をあれだけおぼえたなと思って感心した。」と担任の先生と話した。音楽のヘッドも「いつ、次の動きを忘れるのでは、と内心、はらはらしてた」なんてジョークを言っていた。

玄関付近で両親に会い、母親も「うちの子、ご存知のとおり、ああでしょ、とにかく最後まで音楽で動きをおぼえていたらしいけど、私には秘密とかで、一切話さなかったのよ、どうなるのかと思ってましたよ」と。担任の先生曰く。「でもこれで45分間、集中できる能力があるのだということがわかりましたよね、できるのね!と言えますね」「そうそう。」と皆でうなずいた。

しばらくして、役の衣装から普段着に着替えて話題のが現れた。

皆に囲まれ、輝くようにうれしそうな目で感想をいう姿はかわいらしく、舞台を素直に楽しんでいたようだった。

もうかれこれ彼女を教えて3年経つが、普段のレッスンでも、想像力が非常に高く、歌詞にあわせて、自分から振り付けをしたり、声色を変えて見せたりする音楽性のある子で、私自身、興味を抱いていた生徒の一人だった。とにかく音楽を楽しもうとする姿勢が原動力になっており歌声もそれについてくる。

時々、忘れっぽかったり、人の話を聞いているようにみえてキチンと把握していないこともある子なので試験前はこちらがはらはらしどうしなのだが。

別れ際に「うちの車でおうちまで送りましょうか?」と言ってきたりするかわいらしい面はずっと変わらない。

来週のレッスンでは、舞台裏の話を聞くことになるだろう。いいエネルギーをもらった夜だった。

 

 

 

 
 
                                                                               2012年5月9日

 

 

 

ハートフォード大学でのリサイタル

 

 
 
 
先日、友人の作曲家が教えているハートフォード大学でリサイタルを行った
この大学は総合大学でその中に音楽部門がある。コースは音響、録音、作曲などに分かれていて、音楽実技科は特に設けてはいない。
 
今年はDebussy の生誕150周年記念ということもあり、フランス音楽に影響を受けた日本の作曲家、中田喜直、武満徹の作品が前半のプログラム。
 
後半はアメリカの詩人、Sylvia Plath の詩を用いて友人が作曲した歌曲集を最後に演奏することにした。
プログラムの中の歌は全て自然に関することについて触れてあり、内容はふるさとであったり、愛であったり、恋でもあり、そして死でもあった。
 
観客の多くは作曲科の生徒、それから学校のスタッフのようだった。おおよそ70人から80人はいたように思う。
日本の歌をイギリス人を前にして歌うのは言葉そのもの以上に伝える気持ちを要するように感じた。というのは、一体どんな歌なんだろう、というような不思議な感覚で聞かれているような雰囲気が客席から伝わってきて、それに大いに答えたい気持ちになった。
 
Debussy Nuit d‘etoiles(星の夜という意味)の後に日本の春と桜のこと、詩の内容を説明して、中田喜直の桜横丁を歌った。続いて、武満徹の小さな空を日本語と英語でそれぞれ歌った。
 
日本語から英語に移るのは同じ内容でも、詩の捕らえ方、それから語りかたが違い、自分自身が一人二役をやっている気分になった。英語で歌うときは今日の観客では特に言葉が伝わらなければ、歌も意味を成さなくなる。
 
後半は友人がSylvia Plath が渡英し、ケンブリッジ大学で学んだ後、結婚、そして流産、最後には30歳で自殺を図ったことを説明した。
 
歌曲集は全部で3曲。題名は”Sheep in Fog" "Crossing the Water” "Pheasant" どれも込み入ったハーモニーと自然と死を語った深い内容のものだった。伴奏との掛け合いは洗練されていて、言葉ひとつひとつなんとも咀嚼しがいのある旋律で描かれた作品集だった。練習中には彼女の解釈と思いを聞いて、そして二人で音楽づくりをしたのは、現代曲ならではの醍醐味だった。
 
客席の反応も積極的で、なかには友人の生徒も聞きに来ていた。
 
アンコールには武満徹の歌をもう一度、今度は観客が、私の指導によって歌うことになった。
 
最初は旋律を皆で歌い、歌詞なしで雰囲気を味わってもらった。思いのほか、きれいな歌声が会場に響きわたり、私は興奮してきて、「日本語で歌いたいですよね?」と聞いてみた。
 
大学生が大半だったので、子供のように即座にYES!という反応はなかったが、その割りに全体が参加していたので、ますますうれしくなってきた。
 
「青空みたら、綿のような雲が・・・」と私が先に歌い、観客」にあとから歌ってもらった。
会場全体から反応があって、「今の日本語、全て分かりました!」と言ったら、笑いが起こった。
ホワイトボードに歌詞があったわけでもなく、この計画は即興だったので、聞いてまねしてもらうしかなかった。
歌いながら客席を廻ったりして、色々な人の反応と歌声を確かめた。
 
ここは音楽大学ではないし、クラシック音楽を専攻している生徒はむしろ少数だったらしい。
 
そういうわけで、客席には18歳から22歳くらいのバンドや、ポップス、ジャズ専攻らしき男の子たちがずらっと座っていて、ポケットに手を突っ込んだり、体をいすに深くもたせかけて、一見、興味のなさそうな顔をしていた。
ところが、近くにいってみると、口をあけているし、歌声が聞こえてきたので意外だった。
(もしかして、一体何事だろうと、あっけにとらえていただけかもしれなかったのかな、と今、感じ始めているが、、、)
 
言葉を歌にして伝えることの力とそれを通じて観客とコミュニケーションをとることはコンサートをより一層盛り上げた。
日本人、あるいはアジア人らしき観客は見たあらなかったので、とにかく日本語の感触と、音楽をざっと味わってもらうことを優先に考えながら指導した。
そのうち、色々教え方のアイディアが浮かんできたが、終わらなくなってしまうことに気がつき、また最後に一回通して終わった。
 
母国語の歌を歌うと改めて無意識にも、言葉一つ一つの微妙なニュアンスと味わいをかみしめる楽しみと大事さとを再確認する。
それから何語で歌うにしても自分の思いと解釈以外、音楽作りを生きたものにする要素はないように思う。
 
  
 コンサートのリンク
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  2012年4月7日                           

 

 

         エルガー Apostles   リハーサル 

 

 

イースターの前日に、ケンブリッジのキングスカレッジのチャペルで行われた、コンサートに出演した。BBC主催のコンサートで、英国作曲家エルガー(1857生-1934没)のオラトリオThe ApostlesBBCコンサートオーケストラが演奏、指揮はキングスカレッジの常任指揮者であるSteven Cleobury.。 

http://www.philharmoniachorus.co.uk/events/901

The Apostles(使人達)の歌詞は、新約聖書と聖書外典をエルガーが組み合わせて作曲した。その内容は、神の統治国でのキリストの使人達の登場、キリストの説教、処刑、そして復活で構成される。

合唱のほかには、ソリストとして、イエス・キリスト、メアリー・マグダレーナ、エンジェル、ピーター、ジュダス、ジョンが登場する。

この作品は最初に太陽がのぼり、使徒がひとりずつ選ばれる場面が合唱曲になっているほかは、ナレーションに合唱が突如はいってソロが語る場面が多く、常に合唱の出番が多い。その上テンポが細かく記載され、曲の流れが小節の中で頻繁に変わる。オーケストラとの演奏では、他のパートが聞こえにくいときもあり、指揮者の合図のみが私達一人ひとりの演奏をまとめることになる。

ヴォーカルスコアを目で追いながら、オーケストラの演奏を聴いていると、料理の材料を読んでいる気分になる。調理の仕方は演奏者と指揮者の共同作業だが、リハーサルでは殆ど、だいたいこのような感じになる、ということを確認する程度で終わる。もう少し練習しておきたい、というところで止めておくのが常だ。

リハーサルの後一息入れるため,本番までは、楽譜を閉じて、キングスカレッジのキャンパスを通って外の空気を吸いに行った。

 

            The Apostles 本番

 

キングスカレッジのチャペルは、垂直のゴシック建築で1446年にヘンリー6世時代に建て始め一世紀をかけて完成した。チャペルの天井は巨大なアーチ型の扇子の形になっていて、周りの壁は中世のステンドグラスで囲まれている。 

イートン校のチャペルはこのつくりをそっくり真似し、サイズを縮小したものだと、友達が説明してくれた。

今回はBBCのラジオで放映されるために録音の機材があちこちに置かれた。

キリストの役を演じたバリトンのRoderick Williamsの演奏は特に美しくかった。言葉のリズムと音とがバランスよく流れに乗り聞き手に感情が分かりやすく伝わってくる。彼の声はまたeffortless(努力を要しない)に聞こえるのだ。リハーサル中も常に微笑みを絶やさなかった彼、すべてに余裕があるのだろうか、と思ったりした。

そのほかのソロのパートも役柄をそれぞれ特徴を捉えて演じていたので、キャラクター性を楽しみながら聞いた。

はじめから通して演奏したのは、今のこの本番と、その前のリハーサルのみだけだったので、進行がとても早く感じられた。終わったあとに隣の合唱団員のひとに「内心、ページをめくっていてもうアレルヤの箇所(ほぼ最後のセクション)に来てしまったのね!なんて感じてた。実は。」と言ったら笑っていた。

終わった後はタクシーで駅まで直行、ロンドン行きの電車に皆で飛び乗った。

電車の中で、また合唱団員と、おのおの思ったことを話しあった。家路についたのは真夜中の少し前だった。明日はイースターだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

            2012年3月25日 

 

 

ベンジャミン・ブリテン War Requiem その1
 
 
ロイヤルフェスティバルホールでの本番を終えて、帰り道、一緒に合唱で歌っていたバリトンの友達と一緒になった。
その時、彼の言った言葉。「Painfully beautiful, he was a real killer..」(特にテナーの歌が、痛いくらいにこの上なく美しく、信じられないくらい印象的)私も「演奏中、我を忘れて、感情的になりそうになったね。」と言い合った。
 
そのコンサートで歌ったのは、ベンジャミン・ブリテン作曲の“War Requiem”(戦争の哀歌)だった。
このレクイエムは、コヴェントリーカテドラルの復興献堂式の祝賀会のために1962年に委嘱されたものである。カテドラルは、14世紀に作られたものだが、第二次世界大戦によって、破壊された。
 
平和主義者であったブリテンは、伝統的なラテン語の死へのミサの詩と、イギリスの詩人、ウィルヘルム・オーエンの詩を組み合わせ、ブリテン独自の構成で音楽を作り上げた。
作品は、戦争によって亡くなったブリテンの友人達を含む、4人に捧げられた。
 
今回は、Philharmonia chorusのメンバーの他に、別の室内合唱団や、個人の助っ人が集められた。少年合唱団のパートもあった。オケはPhilharmonia orchestra.
内容は、ラテン語の部分は大部分が、合唱での祈り。英語の語りはソリストによって演奏される。後半に差し掛かると、少年たち、テナーとバリトンの2重唱(ドイツ人の兵士とその敵役をそれぞれが演じる)、合唱がそれぞれ3人の指揮者によって、3場面を一度に見て(聞いて)いるような部分もあり、まさに戦争の様子が手に取るように想像できるような場面もある。
 
曲の始めは、鐘の音のあとでソプラノが囁くように、神へ永遠の安らぎを求めて歌うところから始まる。
ブリテンの記した強弱や、アーティキュレーションは、必ず心得て演奏しなければならないと言われるが、それは、単に大きく、また小さく演奏する、という意味ではないからだと思う。私には、それらの記載にはキャラクター性があり、フレーズごとのニュアンスを伝える言語の役割を担っているよう感じる。
 
戦争が世の中を破壊するという場面では、7拍子や、5拍子で、切羽詰ったようなテンポで歌われる。繰り返し歌うごとにこの変拍子が心臓の鼓動のように聞こえてきて、音楽の流れをよりスムーズにさせていることに気がついた。体全体でリズムを感じてきたころには、譜面をはずしても歌えていることが多い。リハーサルも十分楽しんだ。
 
 
 
                     
WAR REQUIEM その2
 
本番の前日に全員がそろってリハーサルを行った。ソリストや、少年たちの普段の素顔を見るのは性格が分かって面白い。隣にいた合唱の仲間がリハーサルの合間に「こうやって見ると、マエストロ(指揮者)も普通の人に見えるわね。」と私に話しかけてきた。「普通に道で会っても分からなかったりして、、」と私も答えた。
 
この曲で、最も気を使ったことの一つは、最後のアカペラの部分をどれだけやわらかに、そして聞きあいながら、指揮者(Lorin Maasel)のジェスチャーのような、語りかけてくる指揮に就いていくことだった。一つでもタイミングがずれると書かれている音もリズムも意味をなさなくなる。
一通り通して、リハーサルはあっさり終わった。合唱の私たちは、ほぼ全員、「よっぽどうまくいったということか、それともひどすぎて諦められたかのどっちかだろう。」と思っていた。
 
本番の日の朝にもう一度リハーサルがあり、その夜にコンサートを迎えた。3人の指揮者が同時に演奏する場面はやりずらいところもあり、何度か通した。
 
いよいよ演奏の夜が来た。
 
満員のフェスティバルホール。この音楽自体を演奏することへの緊張感を感じた。
 
ソリストの一人であるテナー(Mark Padmore)の演奏は、飛びぬけて素晴らしく、私たちの耳、心を引き寄せた。作品に忠実な表現力と、各フレーズによって毎回、丁寧に、そして、感情をこめた呼吸の取り方。その美しい歌声は、前日のリハーサルでも惜しみなく演奏され(声をセーブすることも特にしないで)これを聞きにきただけでもよかった、と思ったくらいだった。「明日は、さらに本領発揮だわよ」と合唱団の人に言われたが、そのとおりで、演奏に吸い込まれた。
 
2時間近い作品は休憩なして演奏されたが、あっという間に幕を閉じた。客席もこの流れを分かっているように感じた。題材が戦争ということもあってか、普段とすこし違った演奏後の感覚を覚えた。
同僚の興奮した一言が今でも私のこれからの自分自身の頭の中を繰り返すように響いてくる。
 「この上なく美しく、印象的な演奏」私はさらに感動的に音楽的だったと付け加えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 

 

 

 

2012年3月4日 

日曜の朝の一仕事 聖歌隊の舞台裏

 

日曜の朝、教会の聖歌隊の仕事のために8時半過ぎに家をでる。

9時半から礼拝で歌われるHymn(賛美歌)Mass(ミサ)の曲 キリエ、(イースター前には控えるがいつもはグローリアも)、サンクトゥス、ベネディクトゥス、アニュスデイ、それからAnthem(賛歌)の練習が始まった。

リハーサルは通常、50分程度で全ての楽譜はその場で配られる。今日は、Byrdの作品で、各パートは2人ずつで歌うことになった。

私は今日の曲は全て、以前歌った覚えがなかったので、その場で譜面を読ことから始めることになった。朝早いので、発声練習もほとんどしていない。他の聖歌隊のメンバーも誰もウォームアップをしてきた様子もなく、おまけにそれを気にしている人はいないように思えた。

Byrd2回くらい通して、そのあとAnthemをオルガンとあわせることになった。

さらっと楽譜をめくったらそんなに音とりも複雑じゃなさそうだった。中間部にソプラノ2パートに分かれてデュエットをするところがあった。最初から、ひとまず通して終わった。2回目にもう一度通して、中間部にはいったところで、指揮者に「そこはæで!」と英語の母音の形を注意された。アの発音にも色々あり、この場合、開いた明るいほうを意味する。

それだけならよかったが、次にまた違う母音の形を注意された。「また、先週と同じことやっちゃった!」と思わず声がでてしまった。

今回出てきた言葉は、日ごろつかっていないものが多く、スペルを見ただけでは、判断のつかない母音の音が沢山あった。今、気がついたのだが、古い英語だった。

曲全体はまとまったので、デュエットの部分だけ、2分ほど練習することにした。「この部分の英語、しゃべることさえ困難だわ、、」と言ったら、指揮者とオルガニストにうけてしまった。

メロディーも今、さっき見でみたので、発音とリズム、それからもう一人のソプラノとのバランスと息をあわせること、子音の処理(休符で子音を発音するタイミング)、音楽性など考えなければいけないことが山ほどあった。

もう練習する時間もそれ以上はなく、礼拝が始まった。反対にいえばそれ以上やっても、もう本番なのでこれ以上は実力しかでない段階になってきた。他のメンバーは、先に譜面を置いて、別の部屋に移動して、そこで出されたコーヒーとビスケットで一息ついていた。

“いつものように楽譜をみてもう一度、脳に叩き込もう”と礼拝中も譜面を頭で読んでいた。KyrieSanctus, Benedictusはとても気持ちよく歌えた。皆、気持ちと息があっていて、流れがよかった。Agnus Deiがおわり、いよいよ、例のAnthemを歌うことになった。

“言葉を音楽的にしゃべること”と“楽しむこと”とを自分に言い聞かせた。

本番というのは、面白い現象が起こる。緊張感によって声が伸びたり、気合でなんとか言葉がしゃべれてしまったり。今回もそうだった。無事、終わったのでよかったし、色々指摘されて刺激になった。また勉強になった一日だった。

 

    2012年2月24日 

 

                                           チャリティーコンサート

 

 

ロンドンの教会で、一緒に聖歌隊の仕事をしていたソプラノの一人が、多発性硬化症によって、仕事を断念した。

その後、彼女は、自分と同じ症状を持った仲間のためと、多発性硬化症協会に資金を援助することを望み、私たちに資金チャリティーコンサートを依頼してきた。

 

プログラムは、それぞれがオペラのアリアや、フォークソングなど、それから2重唱、合唱などで趣旨に賛同した12人ほどの歌手が出演した

私は、ヘンデルのオペラのアリアと、モーツアルトの魔笛からパパゲーノとパパゲーナのアリア(かの有名なPa,pa,pa)を歌うことになった。

 

Papageno役は、いつも仕事を一緒にしているトムが歌うことになった。彼は、あちこちのプロ合唱団で仕事をしたり、オペラのコスチュームのデザインなどもする器用な人。このアリアは、ちょっと振り付けを加えようということになった。

 

大体の構成を2分くらい話し合った後、歌いながら、舞台を早足で駆け回ったり、手を取り合ったり、子供のことを歌う場面で、興奮してはしゃいでみたりなど、どのようなことができるか、試してみた。やっているうちに、演技が中途半端では、どうもしっくりこなくなってきたので、全て動作をつけてみた。トムが「僕がその前のアリアの最後の部分で、自殺を決心している瞬間に、早足で茂みに飛び込んでみてくれる?」と頼んできたので、早速やってみた。その後、茂みから手招きしてみたら、「それで、いこう」と言われた。このすばやい動きが可能だったので“普段からヨガで、鍛えていたのが役にたったわ”と思った。

 

一言一言のフレーズごとに自然にアイディアが沸いてきて、とにかく、トムとタイミングを合わせることと、歌うというか、言葉をしゃべることにに集中していった。声はあとからついてきた。この瞬間、歌唱が体と一体化するとともに、自分の声を聞いている暇がなくなったため、声が自由にでてきているのが分かった。役を借りて、自意識から逃れることができるのだったということを再確認した。最後は、Papagenoが、Papagenaをかつぐような格好になり、3回転して、舞台から走って消えるということになった。担がれて、高音を伸ばすのは、大丈夫かなと思ったが、やってみたら案外平気だった。

 

他のみんなの歌もそれぞれ聴きあった。普段は、まじめな顔でMassなどを歌う教会のメンバーが、自ら選択した歌をコンサート形式で歌うのを聴くのは興味深かった。まるで、ひそかに秘めている自分らしさ、またはもう一人の自分のようなキャラクターが、歌っている曲と歌唱から現れているようだった。

 

後半は、Vaughan Williams Serenade to Musicで始まった。当日、具合が悪くなってコンサートに出演できなくなったソプラノのソロのパートを歌うことになっていたので、とにかく集中!してのぞんだ。一回通しただけで本番だった。プログラムは、イギリス民謡や、NovelloWe`ll gather lilacsなどイギリス人に親しみのある曲目で幕を閉じた。

 

私たちの友達で、患者でもあり、今回の企画、宣伝、マネージメント、そして自らも演奏をしたルース。「もう一回、やってほしいわ、こんな企画」とお客さんに言われたらしい。

2度とやりません、あなたがやってよ!と言いそうになったわ!」と疲れすぎて半分やけになっていたりしたが、無事にコンサートは終わった。収益は20万ちかくにものぼった。

 

音楽を通して、彼女の思いに力を貸せたことは、私にとっても演奏がまた特別のメッセージとなって表現できたすばらしい会となった。

 

いつもコンサートが終わった後に残る余韻がいいほど、次へのエネルギーになる。今週もまた、いい週末を迎えることができそうだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                         2011年12月20日
 
                                                                   クリスマスコンサート
 
ロンドンでのクリスマス前の最後の仕事が、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサート.だった。
Philharmonia chorus (フィラモーニア コーラス と発音する。)からの依頼で出演した。それは、ホールのクリスマスコンサート企画の一つだった。
キングスカレッジの聖歌隊との共演でもあったため、客席はほぼ満員で、舞台はキャンドルライトに囲まれていた。
 
最初の曲は、Dvorak (ドヴォルザーク)のTe Deum。
キングスのみの演奏がその後にあり、彼らは透明感のある落ち着いた演奏で、客席を魅了した。
 
イギリスの男声は、ひとりひとりが、そつなく歌うことができ、互いに聞きあいながらアンサンブルを楽しむ力に優れている。イギリスでは、聖歌隊(高音部はTreble の少年達が受け持ち、低音部は大学生がによって構成される。)が、各大学ごとにあり、メンバーは、指揮者によるオーディションで選抜されて音楽の奨学生として学校に所属する。彼らは、同じキャンパスで寮生活を送る。毎週の礼拝、季節ごとの行事、また多くのコンサートのためのリハーサルに追われる。毎週、新しい曲を短時間で学び、そしてパフォーマンスをするのが、日常である。
更に、イギリス人男性の性格と、物腰が(自分を強くだすよりは、むしろリラックスして取り組むところ)アンサンブルを
行う場では、音楽作りのうえで、よい面として表現される、と私は思う。
 
イギリスには、大人のアマチュア合唱団も数多くあり、コンサートも頻繁に行われる。今回、かかわったフィラモー二アもその一つ。とてもしっかりした組織団体で、練習にも熱心に取り組んでいた。
 
コンサートの最後は、おおよそ7000人近くもの観客が立ち上がって、合唱団、オーケストラと共にキャロルを歌って幕を閉じた。
日頃、そんなに頻繁にコンサートなどに足を運ばないような人々も、このようなイヴェントによってクリスマスに向けて、気持ちが高揚するのだ。
コンサートは予定時間を大幅に上回って終了。
 
この仕事で偶然、一緒になったほかのシンガーとあれこれ雑談しながら、雨降りの夜のなか家路についた。布団に入ってからは、例によってキャロルが頭の中に流れて騒がしかった。
Comments